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リジチョー。

NPO法人読書普及協会リジチョーの隠れ読…

NPO法人読書普及協会リジチョーの隠れ読書垢。 #読書普及協会 #ASR

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コメントした本

aとtheの底力 -- 冠詞で見えるネイティブスピーカーの世界

うなぎの蒲焼きはeelか、はたまたan eelか? 容易そうで容易でないものの代表格に不定冠詞がある。 aとかanだ。 定冠詞のtheはまた別の機会に或る不屈の言語学者とともに紹介したい。 話を元にもどそう。 もし鰻屋でan eelが鰻丼としてでてきたら、少しひく。 ほくほくのご飯のうえに、うなぎがまるまる一尾のっているからだ。 肉屋の肉や魚の切り身などには、やはり不定冠詞はつけないほうがよい。 ここら辺の説明は巷の書物にあるので、せっかく当協会H Pをご覧になってくださったあなたには、もう少し冠詞の肝心を草しておきたい。 不定冠詞は数えられるとか、ひとつとかは本質からズレている。 むしろ本丸をはじめから狙うがゆえ、間違う。 もうすこし際どいところに、宝がある。 要は、不定冠詞のaやanは境界性と蜜月の関係があるのだ。 水の境界性が弱いのはイメジできるだろうか。 無論、コップのなかの水であったなら、境界はあきらかに強くなってしまう。 ここでは水そのものをイメジされたい。 水は境界性が弱いから、*a waterとは云わない。 逆に、an eelをanなしにしてしまえば、それは肉化して蒲焼eelと状態変化をしてしまうわけだ。 もっとひどい話をするなら、犬が車に轢かれてグチャグチャになってしまえば、その犬はa dogではなく、dogになる。 犬が水あるいは肉そのものになってしまったのだから。 長くなった。 境界の有無を有界性と云う。 英語は名詞句にも動詞句にも、この有界性を視れるようになると、さらに深みが増す言語である。 参考文献 “Parts and Boundaries” (1991). Ray. Jackendoff. #リジチョー。 https://www.facebook.com/dokushofukyu/

5か月前

「心の冷え」は3点足裏アーチで消える!

地に足をつける。 まことによい言の葉なものの、近代人はたとえ土に裸足で立ったとしても、地に足がつかなくなってしまった。 すなわち、地からの情報が断たれながらも、ふわふわと生きていることになる。 アーチが毀れたからだ。 そして、心が凍えた。 ところで、バレエのように足先を伸ばす際、概して足の甲だけが伸び、かかと側が縮まるパタンで終わる。 本来はどちらも伸びて初めてアーチが目醒め、地に足がつく。 地に足がつかぬ者に、地に足をつけている者の世界はわからない。 地を踏みしめたら、足に任されよ。 #リジチョー。

5か月前

天狗芸術論・猫の妙術 全訳注

過日、柿の木に無数の雀がとまっており、それを下から狙う飼い猫がいた。 枝のうえのほうに橙色の柿がいくつもなっているせいか、雀も皆うえのほうで囀っている。 猫は静かに木登りをはじめるが、そこは飼い猫である。 木の四合目あたりで雀にあっさり氣がつかれ、一羽も残らず飛びたってしまった。 そこからの景色をぜひ皆さまにもご覧いただきたかったのだけれども、飼い猫はこれまた丁寧に木をゆっくりとおりていった。 あれを哀愁というのであろう。 さて、これが飼い猫でなく、筋肉隆々の猫だったら雀はとれたのであろうか。 あるいは氣功を極めた猫なら、どうか。 悟りをひらいたばかりの猫なら? 『猫の妙術』は雀がバケモノ鼠になっているものの、このような話で、結局、鼠を静かに捕まえてきたのは平凡な老猫であった。 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。 老猫の話がはじまる。 #リジチョー。

5か月前

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もいもい

0歳児が最も興味を示したという絵本だが、私にとっては超短編の戀愛小説であった。 陰陽學をおもわせるふたつの生命が、もいもいと一期を歩んでいく。 そもそももいもいに意味がないところがよい。 もいもーい。 最後の頁は圧巻だ。 #リジチョー。

6か月前

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神秘家列伝

人の本来の寿命は一万年という説がある。 太古、遺伝子的レイプにあって以来、百年足らずしか生きられぬようプログラミングされたというわけだ。 こんな話をすると、概ね現代人はこうこたえるであろう。 そんなに永く生きたくない と。 ところが稀に、それは『存在』への冒瀆だと云わんばかりの姿勢をみせる人が現れ、そのなかから実際に永く生きる神秘家が誕生する。 一万年あれば、やっとひと通りのことに時間がとれるかもしれない。 一期が短か過ぎるために、眼に映らぬ世界はどうもわからぬと水木しげるは視たようである。 #リジチョー。

6か月前

コントロロジー―ピラティス・メソッドの原点

背骨のやわらかさを若さと視たのは、まさにピラティス自身であった。 ハンドレッドと名づけられた血流をよくする運動から概してはじまるピラティスは、その後、ピラティス夫人の尽力もあり、世界中に拡がっていく。 例えば、いわゆる腹筋トレーニングと似た動きをするロールアップ&ロールダウンでも、背骨のひとつひとつを床から丁寧に離しては、さらに遠くへ背骨のひとつひとつを置いていくというように、深層部の腹筋を使って、やはり背骨の柔軟性と伸縮性をゴールとする。 しかし解剖學的にいくら完璧でも、それを実際のスポーツで活かすのはまた容易ではない。 猫の肩胛骨は標本としては人のそれに近いものの、生きた猫の肩胛骨はまったく解剖學とは異なる位置にあることをつけ加えておく。 #リジチョー。

6か月前

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坊っちゃんの時代 : 2 秋の舞姫

鷗外が以後、自身で戀愛の禁止を課した異国の女性がエリスとして描かれている。 よっぽどの心意氣があった舞姫であったのであろう。 鷗外の愛と義だけを信じ、遠方より船できたわけであったが、普請中の日本そのものであった森家が鷗外個人の戀愛を許さなかった。 しかし本来の戀愛は実らなかったものの、エリスが東京、特に文學に与えた影響は大きい。 来世紀に残したい漫画のひとつである。 #リジチョー。

7か月前

タロットの宇宙

小さいけれども、ピラミッドと同等、あるいはそれ以上の地球における宝にタロットがある。 今は占いに堕してしまっているものの、やはりそこには真理の物語が幾層にも編まれているのであろう。 おそらく人の発明品というよりは、そのように見せたヒューマノイドを当てはめる物語焼き機に近い。 アルカナをポケットに。 さすれば君の一期もそのカード一枚に近づくのかもしれない。 #リジチョー。

7か月前

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世阿弥―花と幽玄の世界

近代になって寂しくなってしまったものは少なからずあり、それに対して愚痴を云ってもはじまらぬが、そのなかでも異界に対して花を活けなくなってしまったというのは哀しみまで帯びる。 能舞台の正面に松がよく描かれる鏡板は、異界すなわち裏からそれを眺めると、松が『寿』の鏡文字であったことに氣がつく。 今ここに過去や未来はもちろんのこと、異界までも添えられる文化を編み切ったのが世阿弥であった。 秘すれば花。 萎れし花。 の簡素な華やかさのうらには、世阿弥の慟哭がある。 花は咲いたら花でなくなる。 #リジチョー。

7か月前

沢庵 不動智神妙録・太阿記・玲瓏集 禅入門〈8〉

一歩もださず、一歩も退かずして、ことごとく勝利の兆しをおさめてしまう境地がある。 本来は秘伝中の秘伝であろうが、それが書物になっている時代というのも良し悪しはわからぬが、おもしろい。 沢庵はご存知タクワン漬けを発明した禅僧で、武器を持たずに虎の檻にはいっては、それを手なづけたという男である。 洛書の図で云えば、不動の5の位置にいながら、陰陽回転をたしかにまわすといったところになるのだろうか。 ブランディングなる不毛な言の葉が流行りだしてから、人は存在感を求めるようになってしまったものの、たしかな人物というのはことごとく不在。 つまり氣配が無に近い場合が多い。 毎晩、睡りにつくまえに読みたい一冊。 #リジチョー。

7か月前

天帝尊星 霊符秘密集伝

たしか龍体文字研究家の方がされていたと記憶しているけれども、靈性豊かな文字に手をかざすと、約10cmほど手を離しても、或る種の氣を感じるという。 そのなかでも龍体文字は30cm離しても、氣を感じるから書物をだしたそうだ。 ところで、たしかな靈符となると、その氣たるや文字の比ではなくなる。 本書は秘密と云いながら、それらを堂々と公開してしまった確信犯的な一冊である(笑)。 私は密教に即した書き方で、木製の御朱印帖に草してきたのだが、だいぶ救われ、そして守られていたのだと感じざるを得ない。 #リジチョー。

5か月前

江戸JAPAN極秘手相術―超入門から極秘伝まで一挙公開

私が觀てきたなかで、最も素晴らしかった手相は、秀吉のように運命線が色濃く中指の半ばまで突き抜けている或る先生のものになる。 それまで秀吉の手相は作り話であろうとうつつとなく考えていたものの、人外の手相というのもあるのだと目を醒まさせていただいた。 とはいえ、一般的に手相は觀る機会が少ないであろう。 そこでわかりやすい部位をひとつご紹介して、このたしかな手相本の架け橋としたい。 それは親指の反りになる。 日常的に親指がそんなに反らない者は組織的に行動でき、反る者は個人主義的と云われている。 ちなみに私の親指はお会いした方なら肯くとおもうけれど、日々スマホが押せないほど反っている。 お察しいただければ、幸甚だ。 #リジチョー。

5か月前

科学的 潜在意識の書きかえ方

潜在意識を言の葉から書き換えるというのは容易ではない。 なぜなら、言の葉は概して顕在意識の王だからだ。 よって、読書による潜在意識へのアクセスは等しく工夫がいるものの、本書は量子物理学の視点から潜在意識へのアクセスがよく書かれている。 書き換えを試みる際、新たに潜在意識に書く作業よりも旧い情報を消す作業がいまひとつ機能しないため、コンフォートゾーンを抜けだせずに終わることが多い。 むしろそれさえできれば、この手の本は卒業でよいのではないだろうか。 #リジチョー。

6か月前

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天の鈴

たしかな小説の名が共通の話題ででたとき、人はしばしばその人もたしかな人物ではないかと視る。 ところが『天の鈴』に関しては、まず上のようなことは起きないであろう。 あったとしたら、それは靈的な導きに他ならない。 それが故に、この真紅の一冊を人に贈られるときは注意されたほうがよろしい。 損得勘定に堕した神社を舞台としたなかでの純粋なる舞い表現は、読者の魂まで浄化させるお経に近い。 #リジチョー。

6か月前

本を書く

森羅万象、図があり、器があり、分母がある。 この書評も失戀中の君と片想い中の君が読むのとでは、沁みかたが異なる。 君という分子は等しくとも、分母が異なるからだ。 さて、アニー・ディラードはこの分母からはいる作家であった。 いつもの書斎から生まれる表現を厭がり、たった一文を表すために例えば、巨大な工場を貸し切ってみたりする。 人は環境の動物である。 環境とはすなわち分母であるまいか。 #リジチョー。

6か月前

勤皇の系譜 書による心の世界

白石先生との出逢いはウイグルが縁であったものの、先生がお持ちの書は圧巻であった。 幕末維新に活躍した武士のものが多く、龍馬の教養ぶりは字からわかるとか、西郷は悟ってたが故に、あのような書がかけたのだと教えてくださった。 先生から最後に頂戴した言葉は、「もし日本人に馴染む民族がいるとしたら、それはクメール人かもしれない」というものだ。 ちょうどカンボジア事業に苦しみ抜いていた私にとって、この言の葉にどれだけ救われてきたのだろうか。 閑話休題。 書は人を語る。 次世代に残しておくべき筆頭の一冊。 #リジチョー。

7か月前

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海市

さすがは福永と云わんばかりの繊細さが、作品冒頭から表されている。 蜃氣楼のように現れた安見子の描写が、兎角これまで読んできた小説のなかで最も好きである。 戀というよりは愛に天秤がやや傾いた小説は、蜃氣楼そのものである海市と相似律に、堕していく。 解なき連立方程式。 されど解ありと読者まで望むのは、愛が思考の限界を越えてゆくことを無意識に欲しているからではあるまいか。 #kodotenco

7か月前

縄文日本文明一万五千年史序論

縄文が見直される風潮は結構なものの、やはり原始的という洗脳は依然として強い。 縄文時代、今と同じく異星からのコンタクトばかりか、遺伝的ハーフが少なくなかった。 そのなかで、いわゆる縄文人は人としての純粋性を保った種族になる。 平成最後の年になってもなお、縄文の血を根絶やさんとする勢いが視てとれる。 逆説的に申せば、それほどまでに縄文は尊いのであろう。 日本人の血を漂う縄文一部は、今日も微かな聲で君に囁くのである。 #リジチョー。

7か月前

闇の花道―天切り松 闇がたり

好みの女性はと訊ねられたら、お紺姐さんとこたえていさた時期がしばらくあった。 女掏摸なものの、ゲンノマエと云って、正々堂々と正面から掏摸をおこなうのだ。 その心意氣がなんとも好きであった。 男が女に惚れるときなんざ、概して女の粋っぷりに惚れるものである。 そしてお紺は心意氣の化物であった。 浅田次郎氏自身もこれは自分が書きたくて書いたものと明言されているが、お紺も含めた目細の安吉一味は近代で失われた大人のそびらを魅せてくれる。 妙な社会になっちまったんだ。 清濁呑まにゃア、ならねえこともたくさんある。 了簡せい。 #リジチョー。

7か月前

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これは教育学ではない―教育詩学探究 (叢書konTakt (1))

明治に伝統を自ら棄てて以来、平成に至るまでずっと私たちは私たちを断捨離してきた。 ちなみに明治維新を行なったのは、武士ではなく呉服屋だ。 平成13年はつい最近だろうか、昔だろうか。 あの時、私たちは和紙の大きさと縦書きを棄て、A4の大きさに横書きが公式文書となった。 木材の含水率を法律で下げられ、木が死んだのもついこのまえだ。 なぜ私たちは大切なものを棄ててしまったのだろう。 もうなにが大切だったのかも、おもいだせないなんて。 そんな土台のうえにある教育なのであったなら、そんなものはやらないほうがよろしい。 #リジチョー。

7か月前