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リジチョー。

NPO法人読書普及協会リジチョーの隠れ読…

NPO法人読書普及協会リジチョーの隠れ読書垢。 #読書普及協会 #ASR

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コメントした本

勤皇の系譜 書による心の世界

白石先生との出逢いはウイグルが縁であったものの、先生がお持ちの書は圧巻であった。 幕末維新に活躍した武士のものが多く、龍馬の教養ぶりは字からわかるとか、西郷は悟ってたが故に、あのような書がかけたのだと教えてくださった。 先生から最後に頂戴した言葉は、「もし日本人に馴染む民族がいるとしたら、それはクメール人かもしれない」というものだ。 ちょうどカンボジア事業に苦しみ抜いていた私にとって、この言の葉にどれだけ救われてきたのだろうか。 閑話休題。 書は人を語る。 次世代に残しておくべき筆頭の一冊。 #リジチョー。

1日前

海市

さすがは福永と云わんばかりの繊細さが、作品冒頭から表されている。 蜃氣楼のように現れた安見子の描写が、兎角これまで読んできた小説のなかで最も好きである。 戀というよりは愛に天秤がやや傾いた小説は、蜃氣楼そのものである海市と相似律に、堕していく。 解なき連立方程式。 されど解ありと読者まで望むのは、愛が思考の限界を越えてゆくことを無意識に欲しているからではあるまいか。 #kodotenco

4日前

縄文日本文明一万五千年史序論

縄文が見直される風潮は結構なものの、やはり原始的という洗脳は依然として強い。 縄文時代、今と同じく異星からのコンタクトばかりか、遺伝的ハーフが少なくなかった。 そのなかで、いわゆる縄文人は人としての純粋性を保った種族になる。 平成最後の年になってもなお、縄文の血を根絶やさんとする勢いが視てとれる。 逆説的に申せば、それほどまでに縄文は尊いのであろう。 日本人の血を漂う縄文一部は、今日も微かな聲で君に囁くのである。 #リジチョー。

5日前

闇の花道―天切り松 闇がたり

好みの女性はと訊ねられたら、お紺姐さんとこたえていさた時期がしばらくあった。 女掏摸なものの、ゲンノマエと云って、正々堂々と正面から掏摸をおこなうのだ。 その心意氣がなんとも好きであった。 男が女に惚れるときなんざ、概して女の粋っぷりに惚れるものである。 そしてお紺は心意氣の化物であった。 浅田次郎氏自身もこれは自分が書きたくて書いたものと明言されているが、お紺も含めた目細の安吉一味は近代で失われた大人のそびらを魅せてくれる。 妙な社会になっちまったんだ。 清濁呑まにゃア、ならねえこともたくさんある。 了簡せい。 #リジチョー。

8日前

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これは教育学ではない―教育詩学探究 (叢書konTakt (1))

明治に伝統を自ら棄てて以来、平成に至るまでずっと私たちは私たちを断捨離してきた。 ちなみに明治維新を行なったのは、武士ではなく呉服屋だ。 平成13年はつい最近だろうか、昔だろうか。 あの時、私たちは和紙の大きさと縦書きを棄て、A4の大きさに横書きが公式文書となった。 木材の含水率を法律で下げられ、木が死んだのもついこのまえだ。 なぜ私たちは大切なものを棄ててしまったのだろう。 もうなにが大切だったのかも、おもいだせないなんて。 そんな土台のうえにある教育なのであったなら、そんなものはやらないほうがよろしい。 #リジチョー。

8日前

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

江戸時代の離婚は女性にとってかなり不利であった。 どんなに旦那がひどくても、夫が首を縦にふらなければ、女性から離婚はできなかったのである。 ただし特例もあった。 それは縁切寺に逃げるというもの。 しかし当然、夫が追いかけてくるというケースもある。 そこで下駄でも櫛でも、縁切寺のなかに投げこんでしまえば、離婚が成立するという裏技まで発明された。 このような流れのなかで、寺には外界とは無縁の者が集まり、無縁が故の信頼というのもやがて生まれてくる。 すなわち金が預けられるようになったのである。 ようこそ、エンガチョの世界へ。 #リジチョー。

8日前

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TAO―老子の道〈上〉

老子は晩年、弟子とともに雲南省においでたという説があり、実際にまだその血が濃く残っている地域があるという。 タオは概して「道」の字で表現されるものの、これはただの借字に過ぎず、その背景には深い性がある。 近代人はいつから性をただの快楽へと堕し、それを子から隠すようになってしまったのであろうか。 うえのタオが未だ息づく地において、歓の交わしは祈りに近い。 愛のなかの恍惚情態から祈るがゆえに、人は宇宙と一体化し、無為自然そのものになれるのである。 そして、ここから道徳が等しく生まれてくるのだ。 #リジチョー。

8日前

鳥の骨探―ダチョウ・ペンギン・アホウドリ・ツル・タカ・ペリカ

骨盤中央に坐する薦骨が丸みを帯びたことにより、ヒトは靈性を帯びたという説がある。 丸まりによってできた空間がいわゆる肚となり、そこから生まれた叡智もたしかに少なくないであろう。 しかしながら、鳥の平たい薦骨美も格別なものがある。 だいいち彼らは空を飛べるのだ。 無論、ヒトも飛べる。 たしかな肩胛骨を保たれている方であれば、その飛翔感覚は容易に体験できるだろうけれども、やはり人類が薦骨の球体化によって失ったものは否めない。 空を視あげられよ。 薦骨が幾何學模様を無数に描き、夕焼けへと今宵も消えていく。 #リジチョー。

8日前

カラダという書物

私の軀はどこまでが軀なのか? この問いの答えは密接に身体觀とかかわっており、必然的に宇宙觀にもつながっていく。 この肌に覆われた物質だけを軀と視るのは、あまりにも洗脳されている。 本のはじめのほうに魚の身体觀がでているが、己を視れぬ位置についている魚にとって、もしかすると宇宙そのものが軀なのかもしれぬ。 極論、単体なる軀は存在しない。 それが故に、花を愛でれば、我が身もともにはかなしという感覚が全身をかけめぐり、やがてはそれが道徳となっていった。 一億総家畜化時代の我が国においては、やはり江戸の躾教育が見直されるべきである。 躾:身さえ美しければよしとする國字になる。 #リジチョー。

8日前

坊っちゃんの時代 : 2 秋の舞姫

鷗外が以後、自身で戀愛の禁止を課した異国の女性がエリスとして描かれている。 よっぽどの心意氣があった舞姫であったのであろう。 鷗外の愛と義だけを信じ、遠方より船できたわけであったが、普請中の日本そのものであった森家が鷗外個人の戀愛を許さなかった。 しかし本来の戀愛は実らなかったものの、エリスが東京、特に文學に与えた影響は大きい。 来世紀に残したい漫画のひとつである。 #リジチョー。

2日前

タロットの宇宙

小さいけれども、ピラミッドと同等、あるいはそれ以上の地球における宝にタロットがある。 今は占いに堕してしまっているものの、やはりそこには真理の物語が幾層にも編まれているのであろう。 おそらく人の発明品というよりは、そのように見せたヒューマノイドを当てはめる物語焼き機に近い。 アルカナをポケットに。 さすれば君の一期もそのカード一枚に近づくのかもしれない。 #リジチョー。

4日前

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世阿弥―花と幽玄の世界

近代になって寂しくなってしまったものは少なからずあり、それに対して愚痴を云ってもはじまらぬが、そのなかでも異界に対して花を活けなくなってしまったというのは哀しみまで帯びる。 能舞台の正面に松がよく描かれる鏡板は、異界すなわち裏からそれを眺めると、松が『寿』の鏡文字であったことに氣がつく。 今ここに過去や未来はもちろんのこと、異界までも添えられる文化を編み切ったのが世阿弥であった。 秘すれば花。 萎れし花。 の簡素な華やかさのうらには、世阿弥の慟哭がある。 花は咲いたら花でなくなる。 #リジチョー。

8日前

沢庵 不動智神妙録・太阿記・玲瓏集 禅入門〈8〉

一歩もださず、一歩も退かずして、ことごとく勝利の兆しをおさめてしまう境地がある。 本来は秘伝中の秘伝であろうが、それが書物になっている時代というのも良し悪しはわからぬが、おもしろい。 沢庵はご存知タクワン漬けを発明した禅僧で、武器を持たずに虎の檻にはいっては、それを手なづけたという男である。 洛書の図で云えば、不動の5の位置にいながら、陰陽回転をたしかにまわすといったところになるのだろうか。 ブランディングなる不毛な言の葉が流行りだしてから、人は存在感を求めるようになってしまったものの、たしかな人物というのはことごとく不在。 つまり氣配が無に近い場合が多い。 毎晩、睡りにつくまえに読みたい一冊。 #リジチョー。

8日前

仏との出会い―現代に生きる仏教

読書家のなかには、或る時期に本の断捨離をしてしまう方も少なくない。 ただし数千冊を棄て果てたあとでも、紀野氏の著書だけは断捨離できなかったという人がおいでたほど、氏の著書にでてくる人物には魅力がある。 たしかな人を育てるにはどうしたらよいか。 それには絶望を友とさせることが最もよろしい。 中途半端な生き方をしている輩に、絶望なんてやってくるわけがない。 人は絶望のなかでのみ、龍が珠を吐くがごとく、まともな仕事をするのである。 人に裏切られても、己は裏切にことだ。 #リジチョー。

8日前

南方録

西欧の絶対美が黄金律で計算されるのに対し、日本のそれはカネワリによって比率をだされる。 カネワリはもともと聖徳太子の時代にはすでにあったとされる建築方法なものの、それを茶室に移し、茶室空間そのものを小宇宙にしたのが、利休になる。 おもしろきことに、東西の絶対美は計算方法が違えど、近似値になる。 つまり、西欧人も東洋人も美しいとおもう空間的比率は変わらないのだ。 因みにうえで近似値と申しあげたのは、三分がかりといって、絶対美の位置を識りながら、あえてそこから9ミリずらすという利休好みの編集術があるからである。 南方録は偽書という説も根強い。 しかし、これを再現するならば、たちまちそこには寳の山があらわれるに違いない。 #リジチョー。

8日前

フラジャイル 弱さからの出発

弱さは等しく過激だ。 そんな出発点からはじまる「弱さ」の物語。 21世紀初頭にでた本書は、今世紀の『老子』をおもわせる節がある。 フラジャイルゆえの「きわ」「あいだ」「むすび」が、たまたま交差する舞台が編まれない限り、「強さ」とともにヒトは滅びてしまうに違いない。 金や身はもちろんのこと、心も魂でさえも禅から眺めれば凡て借りものである。 この世は限りなく無に近いフラジャイルの白昼夢に過ぎない。 まずは息をはき、弱さを眼前に添えることである。 #リジチョー。

8日前

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残りの雪(上)

上巻だけの美で云えば、この戀愛小説を最もお薦めしたい。 明治以降、暦を棄てたのをかわきりに異様なまでの西欧化に堕した我が國は、國の根本と云っても過言ではない色戀もすっかり野暮になってしまった。 連載当時、里子擁護派と里子反対派で大論争が起こったという、はかなくも美しい物語となっている。 兎にも角にも、里子のような女もすっかりと減ってしまったし、坂西のような男は絶滅危惧種に近い。 大人が等しく幼稚になってしまった。 もしたしかな大人になりたいのであれば、自己啓発なんかしていないで、本書を読まれたほうがよろしい。 #リジチョー。

8日前

フローラ逍遙

澁澤の眼鏡をとおした花々が、本の背表紙まで香るようで、ぜひ本棚に加えていただきたい一冊。 禅では、花が咲いた瞬間、それを花ともう視ることはない。つまり、ゼロよりまえの花こそが花なのだ。 この惑星のヒューマノイドはほぼ等しく、花を咲かさぬようにプログラミングされて久しい。それでもなお己を咲かせたいのであれば、それは秘すれば花に限るであろう。 兎にも角にも、花は散るから美しく、たしかな花は眺めていていつまでも飽きないものである。 #リジチョー。

8日前

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