4f8e614f ec35 4985 9704 318bf3471b43

Y.usu.K

本が好きです。

本が好きです。

228

コメントした本

八木重吉全詩集〈1〉

p89 なんといふわからぬやつらだらう にんげんはそんな家はいらないんだ、 そんなてかてかとむやみにおほきい 歯のうくような住宅なんかよせばいいのに、 この世の中から活動写真と芝居と写真道楽と別荘をなくしてしまへ、 人間のすむ家は、 だれもかれも二十円ぐらいの家賃のものにするがいい、 そして野と山を荒らしてはいけない 野と山がこれ以上狭まってゆくなら 日本はいきがひのない国になってしまう、 みんないちばんいいものを探そうそしてねうちのないものにあくせくしない工夫をしよう、 人間一人の生命のためにも 人間すべての生きがひのためにも なくてよいものをあへぎもとめるのは なんといふおほかしいことであらうか 貧しきものの歌

8か月前

文化人類学への招待

p28 交換とは、本来コミュニケーションから出発している。モノをやりとりする。コトバをやりとりする。人間と人間のつながり、つまり紐帯というものはすべてこの交換に発している。 p43 どんどん気前よく分け与えるということご主張の義務にもなっている。 p92 集団間の女性の移動がコミュニケーションの基本形態であるということです。だから物が移動するということは、それによって欠乏状態が満たされていくような形でコミュニケーションが成立するのだというふうに、とにかく二つの方向性がはっきり目に見えるようになっているわけです。 p146 女性が男がコントロールできない力をもっているという恐怖心を抱いている。だから根源的な力に対する恐怖をコントロールするために、その力に近い存在を排除するための機構をつくろうとする。このようなことこそが権力の起源であるということがだんだんとわかってきた。 p203 知とか学問は、基本的には、自らの体系を否定する要素を、潜在的に取り込んでいけるかどうかということによって、永続性を保証されるかどうかがきまるのではないかと思われます。

8か月前

螢川

p178 ひょっとしたら宮本輝は人間の生よりも死につよくひかれているのではないか。というよりは、生きの人の世をえがくのに、死がいつも裏打ちになっていてこそ当然だとする態度かと、その絵のありように感懐をおぼえた。

8か月前

772b5811 77bf 48bb 94e0 6b8897769750Icon user placeholder
カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ

p15 人生において自分の欲するものを獲得するためには、たとえそれが正当なものであっても、膨大な犠牲を必要とする。 p27 「たったこのまえ生まれてきて、たちまち死んでしまうこのぼくという存在は何なのか」という問いを求め続けること、これが最高の生きる目的なんだよ。答えが与えられなくとも、答えを求め続けることそのことに価値がある。

8か月前

E5b6842b da56 43c6 af6e 195ea0e409f9D560a034 941d 4c62 88a2 ecf4b20b504bC17e5ddf fd7c 4655 a028 d401a2587f888c2edbaf 970b 4af3 92c3 d60fd68dbe0175e54cd0 91fc 4138 bea3 918e00dcec0367cc0228 da77 4d7c 9dc5 c0ce348c6b1fEda3fd66 ae9b 4852 a5ce f2a705f2a6d6 8
アートを始めるまえにやっておくべきこと

p4 どんなキツイ制約、どんな不遇な立場にあっても、世界をひっくり返してやれるという気分でなくて、アートなどできるたわろうか、アートなど語れるだろうか? p16 人間は3つのバランスで生きていると言うんです。1つ目は「ベーシックなテクニックや知識」まずこれがないとマズいと思う。2つ目は、アイディアをどうやって開くかという「企画力や判断力」3つ目がお金を作ったり、うまく運用したりする「マネージメント能力」実際に社会でアーティストとして生きている人は3つのバランスが非常にいい。

8か月前

00a6cf1a c5e2 4331 ad04 f26bd088f9206fc4dceb 9eba 49cb 834a f51ccace2f5c014253d4 6080 4951 9119 24735184a696
「待つ」ということ

p155 パスカルのあのdivertissementである。内を覗けば空虚があるのみなので、自分の存在についてはなんの根拠も見出せないので、とにかく外の何かにつねに気を逸らせておく必要がある。そのために情念の対象をみずから作り上げる必要がある。 わたしたちが日常なすすべての行為はまるで空虚な時間を埋めるためだけにあるかのようであり、ーそう、やり過ごすためにだけー、場合によっては悲しい事故や傷に塩をまぶすような出来事であつまえといいからたえず何かに向けて気を逸らし続けていないと 心の底にあの「倦怠」が滲み出してくる… p196 決心にも、「する」ではなく、「待つ」一面があるかもしれません。何事かを捨てて空虚な場所を作り、水が満ちてくるように何かがやってくるのを「待つ」とでもいうか。全部を本当に捨てることは不可能ですから、からだを退避させることで、象徴的に捨てていたに過ぎないでしょうけれども。」「水が満ちてくるように」。そう、水は内から湧いてくるのではない。だから「からだを退避させ」て空き地をつくることがどうしても必要なのだろう。空き地をつくるというのは、迎えることである。いや、来るかもしれないものを迎えるために場所を空けておくということである。待つことは、その意味で、希望を棄てたあとの最後のかけらなのだろう。あるいは希望が崩れたあとでも希望を養う最後の腐植土なのだろう。「腐植土」、ラテン語ではhumus、ヒューマンの語源である。待つことはヒューマンという意味の根っこに食い入っている。

8か月前

1f7b34d9 4fd3 472b afbb 2e9e411dc2faF4804186 5bc1 41e2 a2c1 f09f650784dcIcon user placeholderIcon user placeholderF8bd03be cb4c 468d a213 62c088852e948817d9d2 f670 4857 8844 aad4222e18fe03487e9b da2f 430f 8706 963a87c3209f 31
「おじさん」的思考

p29 「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存する p48 私たち人間は「他者の欲望の対象となること」、「他者に欲され、愛され、承認されること」を欲望している。 p59 本来「お金を稼ぐ」というのは、ある種のスキルを身につけ、その行使をつうじて、「顧客のレスペクト」と「適切な対価」を得るということである p68 個人の努力では超えようのない差異で隔てられた人々のあいだの関係は「エロティック」になる可能性が高い p71 倫理的であるとは、一言で言えば、「お先にどうぞ」という言葉をあらゆる機会にためらわずに言えるということである。 p83 レヴィ=ストロースが正しく指摘した通り、人間社会は「女の交換」の上に成立している。「交換」の基本原理は、「人間は自分が欲するものを他人から与えられることによってしか手に入れることができない」ということである。 p85 構造主義の個展であるウラジーミル・プロップの「昔話の形態学」は、採取したすべての民話について、物語は「家族の誰かが欠け」、それを回復することを推力として進行するという事実を指摘している。(中略)「ハッピーエンド」とは、「物語の冒頭において欠けていた家族の完成」のことである。 p98 幸福な人とは、快楽は「いつか終わる」ものだということを知っていて、だからこそ、「終わり」まてまのすべての瞬間をていねいに生きる人のことである。 p128 「ものを習う」というのは、「知っている人間」から「やり方」の説明を聞き、それを自分なりに受け入れ、与えられた課題に応用してみて、うまくいかないときはどこが違っていたのかを指摘してもらう、という対話的、双方向的なコミュニケーションを行うという、ただそれだけのことである。 p148 クライアントやパートナーにとって仕事をするのが楽しい相手というのは要するに「フレンドリー」で「正直」で「公正」な人間である。 p153 責任感があって、勤務考査が公正で、仕事のできる上司がいて、愉快な仲間がいれば、どんな単純作業であっても仕事は楽しい。 p154「毎日会社に行くのが楽しみ」であるような仕事を選ぶと楽しいよ。 p156 これは船が沈没したり、最前線が崩壊したりしたときに、最後に指揮官が兵士たちに告げる言葉である。 「生き延びることができるものは、生き延びよ」 集団として生き延びることが困難な局面では、ひとりひとりが自分の才覚で、難局を生き延びる他ない。 p174 「知性」というのは、簡単に言えば「マッピング」する能力である。「自分が何を知らないのか」を言うことができ、必要なデータとスキルが「どこにいって、どのような手順をふめば手に入るのか」を知っている、というのが「知性」のはたらきである。 p189 大人であるということは、(中略)「大人にならなければならない」という当為をわが身に引き受けることによってのみ大人になるのである。 p226 まず自分の知っているすべての技術や情報をいったん「リセット」して、師から伝えられることを受け容れることのできる「タブララサ」状態になることである。「白紙」の状態になった人間だけが、その狭隘な枠組みに邪魔されずに師の教えを習得する資格を得る。

8か月前

人間の土地

宮崎駿が空のいけにえというタイトルでコメントを付している 多くの若者たちが空中の兵士となる事に憧れ、パイロットに志願した。 空を自由に飛びたいという願望は、空を自在に高速で飛び回る自由に変わり、速力と破壊力が若者の攻撃衝動をかきたてたのだ。 実は、速度こそが20世紀をかりたてた麻薬だった。速度は善であり、進歩でありがたい優越でありがたいすべての物差しとなったのだ。 ★飛行士と王子さま 大人と子ども ファストとスロー ●スピードとピストル ★スピードと原発 英仏米独伊の各国で、いっせいに郵便飛行の事業が国家の支援の下に始められた。間大戦期に、フランスの航空郵便航路の開拓と維持のため、百名以上の死者を出している。 ★原発の平和利用と核兵器製造の材料補給 ★風景は、人が見れば見るほど磨耗する 間大戦期のデカダンスの中に、地上の雑事への軽蔑と憬れをかくしつつ、若者たちは砂漠へ、雪をいただく山々へと出かけていった。サン=テグジュペリが存在しなかったら、おそらくこの若者たちの物語はとうに忘れられていたにちがいない。 →物語ることが供養になること 内田樹 ◎郵便飛行-紙ヒコーキ-手紙-メール イメージの雲 サン=テグジュペリの遺言「世界は蟻の塚だ」ほとんど自殺同然に地中海上で消えていった 今日、空には線がいっぱいに引かれている → 坂口恭平 政治は、地球上に線、ライン、LINEを引きたがるのだ 地上の役人に管理されながら飛ぶのが、僕たちの空になってしまった。 サン=テグジュペリは管理から逃れ自由へと飛んで姿をくらました。自由な星の王子さまとして生まれ変わり生きているのかもしれない。

8か月前

C33b6264 36fa 4e14 a8ca 698bfc7aea3b533fd91e 903b 4ff6 bc8a fb0fb706323bIcon user placeholderDaa0a7b8 9d45 400b 953e c54a388ba659D712c206 78c0 44ff af6c 84b3d20b4d8f4d0235f6 d13c 4c9c bead 1a6b3560e431Icon user placeholder 59
正直じゃいけん

「くっすん大黒」に続き、町田節に笑かされた。私は音読の癖がある。傍から見るとさぞ不気味だろう。ブツブツと念仏を唱えるように、呪文をかけるように言っているだけでも不気味だろうに、急に笑いだすのだから、狂気でしかない。町田康は読者の様子を想像して書いているに違いない。 大阪出身で、大阪弁も惹かれている一因であろう。この感覚どこかでと思えば、近松門左衛門に辿り着いた。 池澤夏樹が編集した日本文学全集で宇治拾遺物語を現代語訳する仕事に町田康が抜擢されている。宇治拾遺物語を書いた(歌った)のはきっと当時のパンクロッカーに違いない。

8か月前

キッチン

淡々とした筋の中にも破天荒なキャラクター設定が記憶に残る。

8か月前

8d37bb1d 3fb9 43b5 af5e 014415ac19192f7d9080 c35b 4b8e a300 64c7f2c54b90E7245062 a26c 4832 b620 d50414471cdd6c297c28 f15b 4bd1 b046 0af57a8709c9D798ca4f 847e 462d aa53 2cd6c84756e9Dcd670a3 93e1 433c b80e 2fa0748fe7284d0235f6 d13c 4c9c bead 1a6b3560e431 266
父と暮せば

あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのとき被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。

8か月前

07f984ff 131e 4f80 99d7 0ab8007ce29e5b7bf8af a562 41ac 9a73 a75603f776fcAbb8e1fe aa2b 43fc a57f 7c4ac75ca14171f22d9c d011 4388 a625 6db6f0305377Icon user placeholderIcon user placeholder5990e043 d2f8 455a 9a5f 8b64446df5b9 11
法句経のこころ

p24 プロとしての生き方とは何かと言えば、一つの行為、自分が成さねばならないこと、自分は何をなすべきかということを知って、そのなさねばならないことを、迷いなく一途にやっていくということができてはじめて、プロの生き方だということであります。 p197 人を誹るというようなとは、自分を見める眼が厳しければ、まず誹れないと思います。人を誹るのは、自分に対する観察、反省が足りない人だと思います。 p205 禅における「坐禅」の修行は「止まる姿勢」の典型です。実は法句経の「長閑なる所に坐して」という一句は、現代のわれわれに「止まる姿勢」を教えていると受け取りたいのであります。

8か月前

カフカ/夜の時間―― メモ・ランダム

p16 いつか生きていることからはなれて、しごとだけがスピードをあげていく。仕事のために生きるようになる。しごとに支配されている。しごとがあるのが当然だとおもっている。生きている日々の、あのゆったりしたリズムのなかにしごとをひきもどしてやることを忘れて、引き返せないところまで踏み込む。ことばで社会を批判しても、そこにくみこまれているのだ。 p18 人間は管の束に過ぎない。その入力と出力の記録と点検から一日を組み立てる。

8か月前

オデッセイ1971‐2001―工作舎アンソロジー

p34 知ることは博物学者のジョンバロウズがいちじくも述べたように、物事の半分を占めているに過ぎない。残りの半分は愛することの領分であるーチャットレイモ p53 時は金のネガティブケースなりですよ。人間なんていつだって時間はありあまっているはずなんだ。蒙古人や中国人はそれをよく知っていた。それを金によって時間を私有化したわけよ。金があると時間がなくなってくる!ーナムジュンパイク p62 メッセージは、そこらじゅうに漂っている。メッセージを引き出しから取り出してワイアーにのせるんじゃなく、メッセージはいつも漂っている。ーノーマンメイラー p86 非自然あるいは反自然という道を人間は進まざるを得ないのかもしれない。逆戻りはできない。前方に行くしかないのです。自然からますます離れ、動物との接点を失っていく。わらわらは、そのような過渡的な種なのかもしれないースーザンソンタグ p98 シンビオーシス、すなわにパートナーを作るということは、この地球上の生物学の基本である。ールイストマス p115 国家は存在することにおいてそれ自体ですでに巨大な暴力であるー天野哲夫 p138 ひとくちにいえば、農村は典型的なノモスの世界であって、都市はカオスの世界なんだということがよくわかるわけです。ですから、文化人類学的な表現をすれば「農村」こそ「文化」があり、都市は自然である、ということにもなるー小松和彦 p181 近代知識人のもっとも顕著な性格は、死にたくなるくらいに悩むこと、なんだそうである。ー荒俣宏 p191 こわいのはテクノロジーじゃない。何に慣れてしまっているのか、それに気付かなくなっていることだ。ーキースジャレット p208 会話というものはつねに長い会話であるべきです。本物の会話は、もう何も言うことがないとお互いが思ったところから始まるものでしょう。ーレオレオニ

8か月前

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

p38 何度も何度もコピーするうちにコピーミスが起こる。こうして、ちょっとずつちがった情報の組み合わせをもつ生命体が誕生していきます。 →ミス(間違い)が生命の多様性(生き残る可能性の増大)を生んだ p45 江戸時代までは、日本はつねに中国という「ゼア」が本物である、中国が真のものであって「ヒア」である日本は仮のものであるという見方を持っていた。 p81 人間文化をみていくためには、どのような編集があったのか(何と何が組み合わさってそうなつまたのか、どこが強調されてそのような形式になったのか、どのような場面やキャラクターが加わったのか)を見るべき p92 民族が散る、移動するのは、とても重要な現象。それにより人間文化が世界に伝わる

8か月前

306d24ad a35d 4741 ab55 6db05468d04dE48de692 ede4 43d6 b985 00b1aaf35ee559aaad90 3666 47ad a6da be90c85c21457f5831bb 02d1 4395 95ba b74547851348717f318b 4608 4a3e 974e 91a10295939dC00a5b6d 82b6 4a25 8807 f4e4043cb59eF323259c f50a 4e7a b901 7ff05ad808cd 15
回想 黒澤明

p48 「まあだだよ」の中で、百閒先生が言った、「みんな、じぶんが本当に好きなものを見つけてください。自分にとって本当に大切なものを見つけるといい。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい」という言葉が、父の考えを集約している

8か月前

水俣病

p10 漁業被害(漁獲高の減少)が、工場汚悪水によって起こってきていたこと、それをある程度会社側は認めながらも、つねに「将来被害が起こっても新たな要求をしないこと」を条件にして交渉し、被害に対する適切な調査をしたり、その対策を立てようとはしなかったのである。 p23 人々は口にこそ出さなかったが、発生当初から魚を疑い、工場排水を疑っていたのである。ただそういった疑念を口にすることは、水俣ではタブーであった。 →p9 水俣はチッソの城下町といわれる。この水俣に君臨する「殿様」チッソ、すなわち新日本チッソ肥料株式会社は、水俣が発祥の地である。 水俣の老漁師江口某氏は当時のことを次のように言っている。「私は最初から工場の水がおかしいと思った。(中略)工場のドベ(泥土)をビンにくんで熊大に行ったことがある。しかし、あんまり問題にしてもらえなかった。その返事をもらったことも記憶にないし、注目もされなかった」と。一方ではまた、むしろそういった人々の気持ちとは逆に、「奇病の原因が水俣一帯でとへふ魚のためだというデマがあって、地元の漁業者がたいへん打撃を受けている」と市議会で問題にする漁業組合幹部がいた。 →ここでも人間<経済 の思考 p27 汚染された地区の住民が、臨床的にどのような健康被害を示しているかという問題が継続的に追求されていたならば、その後の水俣病の発展も異なったものになったに違いない。しかしそういう作業は、水俣というチッソ支配の城下町ではきわめて勇気のいることで、ほとんど不可能に近いことであったろう。原因をつきつけなくては責任をほおかぶりしようとしたチッソや行政に対抗する熊大医学班にとって、因果関係の究明こそ至上命令であったし、それこそが、患者救済につながる唯一の方法と考えられたのであった。 p28 原因は排水中の物質であることはわかっていても、これが原因物質だというものを取り出して突きつけないと、責任を取ろうとしない企業と、いかに危険だとわかっていても、原因物質がわからない限り、なにもしようとしない行政の姿が、はっきりここで現れている。これらこそ、公害を発生させ、拡大していく元凶なのである。 p35 公衆衛生課長の談話で「現状では漁獲を禁止することはできないので、現地の指導に力こぶを入れている」と述べている。その理由は「病気がはっきりしない以上、漁獲を禁止することはできない「というのである。これに対して熊本大学は「漁獲を禁止しないのはとんでもないこと、まったく非常に危険なことだ。警告を無視することは自殺行為に等しい」と述べている。これに対して地元漁業組合幹部は「原因もはっきりしない現状で、ここからここまでを、危険区域と決めることも難しく、極度に生活に困っている2.3の漁民が最近区域以内近くで魚をとっていることを聞いた。地元では食うためにはしかたがないという声が出ており、いずれにしても放っておくわけにはいかないので、2.3日中に県に出向いて、一日も早く鹿児島県側の、新漁業開拓やその他の補償問題について、実行方を要請するつもりだ」と語っている。 ここでもまた医学の研究成果は活かされていないのである。政府がこの時点で漁獲を禁止し、漁民の生活を補償する手を打ち、チッソが工場排水をストップしていたなら、どれほど多くの人たちが、今日、その病苦に苦しまなくてすんだことであろうか。 p42 企業の論理は飽くことを知らない利潤の追求であって、たとえそれが金であろうと、捨てても採算がとれるものなら捨てるのである。

8か月前

28fbfcc0 9b1d 461b 9b62 12c4158edb4108046b58 10fc 4538 ad28 8bc6ce8e348a
ピノッキオの冒険

誰かが手紙を入れたビンを大海原に放つ。世界のどこかで拾われたその手紙が読まれる。素敵な本に出会うとそんなイメージが広がる。宛名のない、世界に宛てた手紙。 19世紀イタリアは政治的統一の遅れから、列強諸国に翻弄され貧しさに喘いでいた。 カルロ・コッローディも貧しい家庭に生まれ苦しい幼年時代を過ごした。そんな中、神学、哲学、修辞学を学び、書店での仕事を通して知識人、文学者、ジャーナリストと出会い、文学と政治への関心を深めていく。 フランスの有名な童話を翻訳する仕事を経て、彼はそれまでの人生で学んだ様々なことを教科書として童話としてイタリアの子どもに残す。 1881年7月から「子ども新聞」で連載が始まった「あやつり人形の話」(後の「ピノッキオの冒険」)は子ども達から熱烈に受け入れられた。 この物語は二度の大戦など様々な荒波を乗り越えて今に残る。 「ピノッキオの冒険」ではピノッキオは学校をサボって人形芝居を観に行き咎められる?芝居は子どもを誘惑する悪いものときえ描かれた。 21世紀の子どもと親たちはこの作品をどう読むか?

8か月前

D58a0b0d e5d7 4b5f 843e 259541388591B28d8472 e447 4a77 ba3d b9897eb56eca32c25c04 6874 44c6 b646 8d917d1c4f66931bc4b3 9cb5 48bb bed7 5c071e9c434a
ムーンライト・シャドウ

喪失と再生の物語。何かを失った時人はバランスを取ろうとする。他人から見ると奇矯に思えるようなことでもそこには必ず意味がある。 人と人が関係を紡ぐには、知り合い別れていく時間が必要なのだ。月の光の外にまつろう影のような別れの時間をも。

8か月前

走れメロス

信が不信に打ち勝つ。人間を信じる姿を描いた。

8か月前

3b4276b3 fbd2 41ba 9681 103a4a2290256cd227dc 4993 4c94 90fd 1e6b820d97452760224b 0579 4316 9b41 66e609af29ce05d8182e 87bc 48b6 a94a 50615cb7dd38613d3a44 5293 4bef 86db c450c5aa150cF7a20bdd 04d2 45de 861d a8a8acfd1f06