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人生で何度目かの読書熱

人生で何度目かの読書熱。 読書から遠ざかっていた日々を取り戻すかのように読み耽っています。

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コメントした本

かがみの孤城

死と再生の物語だった。 不登校は学校へ行くという選択しかしなかった人たちが理解する事は難しく、特に親の立場であったなら、自分の子供が学校に行きたくないと言ったら動揺し、登校を促進し、或いは失望するかもしれない。 残念ながらこの2019 年はまだ学校に行くという事が「普通」であって、学校へ行かない事は「普通ではない」と考える人が多いのが実情だろう。 実際には保健室登校や相談室登校、学区外転校も可能であるし、義務教育期間であれば、各自治体の教育委員会に設けられている「教育相談施設」で教育相談の他、母子並行面接などのカウンセリングもうける事ができるし、適応指導教室も存在する。 「適応指導教室」って名前はまるで某国の「労働改造所」的ネーミングセンスだが実際はそんなおそろちい場所ではなく、学校的な空間に戻らない・戻れない・戻りたいけどまだムリ、という子どもたちの居場所として各自治体の教育委員会が運営しているフリースクール的空間である。 もちろんNPO運営フリースクールだってあるだろう。ようするに、選択肢はたくさんある。 この作品でも不登校がテーマであり、主人公たちは等しく学校(或いは家庭にも)居場所がなく、成長途中の人間に最も必要である「安心感」と「保護感」が損なわれている。 そこで、幻想的空間である『かがみの孤城』が彼女・彼らの居場所となる。 ジグムント・フロイトからはじまり脈々と発展してきた精神分析学の治療構造は、非日常空間を人工的に用意し、そこでの体験を通じて葛藤の解決を目指すことが共通の土台であって、『かがみの孤城』はまさに、治療空間として機能しているように感じられた。 この孤城において子供達は、失った安心感と保護感を感じ、自分達の共通点と相違点を見出していく。やがて自分を理解し、他者を理解し、自他双方を赦すという体験をする。 はじめのうち、この子たちはどこかぎこちなく、独りよがり。 同じ空間に何人かいても独り言と独り遊びのようである。 しかし、徐々にひとりごと(モノローグ)は対話(ダイアローグ)となり、ひとり遊びはごっこ遊びを経て共に遊べるように、関係が深まっていった。 この変容が生じたのは言うまでもなく日常から外れた非日常空間だったからであり、非日常空間であるためには「ルール」が必要となる。 関係が深まったところで重大なルール違反を犯した子どもがいた。ルール違反には相応の劫罰があるが、それは乗り越えられないものではない。 ここまで来て、別れの段階へ至る。 しかし、別れはもはや彼女・彼らの世界を壊してしまう恐ろしいものではなく、安心感と充足感に満ちた安全で未来へ進むための別れである。 この子たちの心の中で安心感は恒常性を保った強いエネルギーになっただろう。 この物語は死と再生の物語であり、死の床に臨む、即ち臨床的な物語だった。

1日前

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夜は短し歩けよ乙女

2019年に至るまで読まず嫌いをしてこの本と作家を手に取らなかったことを強く後悔してしまう。まさに『こんなにオモチロオカチイ世界があっただなんて』である。 幻想の中で恋人を追いかけるストーリー、場ごとのモチーフ、一貫した親友と悪役などはオッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』を思わせる。 かのオペラと異なるのは『ホフマン物語』が孤独と恥(或いは怒り)へ浸る物語であるならば、『夜は短かし歩けよ乙女』は愛しく温かい物語だった。 しかしこの京都と京大生のパロディというのは実際にあり得そうな幻想でもあって引き込まれてしまう。 実際にこのような登場人物たちがかの地にはたくさん居て、毎夜こうした不思議な出来事が起きているのではないか。そんな期待すら浮かんでしまう、それほどこの幻想的世界へ引き込まれてしまった。

6日前

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クジラアタマの王様

あっちの世界とこっちの世界、現実原則とファンタジーが絆的ななにかで繋がっている。 こうした物語で印象的なものは数多くある。 映画の『アバター』も文字通り宇宙生物に意識をインストール(ダウンロード?アップロード?)していたしキズナ的な感覚器官で他の宇宙生物を操っていた。 そして本好きならば(あえて文学好きとは言わないでおこう)村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も等しくあっち(幻想)とこっち(現実原則)を往復しつつ世界を救う的な物語だった。 古今東西、あっちとこっちを行き来しつつ世界を救う物語は沢山あるし、普遍的な集合的無意識が物語として顕れているのかもしれず、『アバター』や『ハードボイルド〜』もまた等しく匿名的で普遍的だった気もする。 東 浩紀氏曰く匿名的なセカイ系、といったところか。 では、なぜこの物語に星をつけるのか? 面白いから。 東 浩紀氏概念的なセカイ系に対してこの物語は東京、宮城という土地、日本的な男性アイドル、日本的な政策立案者(議員)、モラハラ・パワハラ・セクハラといった極めてにっぽんドメスティックな土壌・文化、そして社会を批判的に眺める眼差しがなければ楽しめない物語なのかもしれず、普遍的足りうるかというとちょっと苦しいのも欠点かもしれない。 そして犠牲を払えば多数が救えるが・・というジレンマもどこか興醒めなところもあった。 それはそれでエンターテイメントとして面白く楽しい物語だったし、そういう体験があってもいいではないか。 なによりアクションシーン(?)の描写が活字でこれだけ引き込ませるのはテンポ・語彙・文脈と鮮やかで、なるほどポンポン映画化される作家の表現とはおそろちい、と上から目線になってしまう。 この物語は、いまや古典的手法かもしれないあっち(ファンタジー)・こっち(現実原則)モノ=セカイ系(©︎東 浩紀)を伊坂幸太郎の爆発的な表現力によって陳腐さのない新鮮な体験ができる物語でした。 (アクションの描写はあとがきにも触れられていた。この本はあとがき先読み派の人もあと読みをお勧めしたいところ) その他 『「お節介なんです。帝王切開で生まれてきたし。」』(p.100) これは普段使い出来そうなフレーズ。 『拍手とブーイング』(p367)どちらが望み?

7日前

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四畳半神話大系

薔薇色で有意義なキャンパスライフを送れずいじけるいっぽうの数年を過ごした全ての人に読んでほしい。 この本を読んでいると自分が学部生だった頃を思い出して虚しくなる。しかも、なんだか自分もこういったことをやっていたような気がするから腹立たしい。 そこで、『あぁ、じつに、生き方に工夫が足りなかった。私はなんてまっすぐだったのであろう。』(p.30)などとほわほわ考え、「もし、あの時違う選択をしていたら」、「もし、もう少しだけ運が向いていたら」などと過去を振り返る。 そうは言っても、 『寺山修司はかつて、書を捨てて街へ出やがれと言ったと聞く。しかし街に出て何をしろというのだ、この私に。』(P.220)と思い直すと、結局自分に伝説の至宝「薔薇色のキャンパスライフ」を手に入れる事は出来なかったに決まっていると再びいじけてしまう。 つまり、この物語体験とは、どんな選択をしていたとしても結局代わり映えのしない数年間だっただろうし、自分は自分でしかなかったのだ、という過去・現在・近未来にかけての自己同一性について洞察する極めてE.エリクソン的ライフサイクル体験ができるSF小説なのかもしれない。 その他 『赤ちゃんがおしゃぶりをしゃぶるように箱庭の権力をしゃぶり続け、』(P.47) 『負けてたまるか。 人恋しさに負けてたまるか。』(P.54)

9日前

AX アックス

『「ぱっとする仕事ってなんですか。暗いというのは、単に、静かに日々を楽しむことができる、ということですよ」明るい性格です、と自称する人間がえてして、他者を巻き込まなくては人生を楽しめないのを兜は知っている。』(p.144) これが主人公、兜の生き方・他者観を表しているように思う。 主人公の兜は人間らしく、愛する妻と子を持つという弱みを抱えており、そして「医師」は反面で『この医師自身が・・・医療器具の一つ』のような無機質さ、コンピュータのような強さを持っていた。 しかし結局、家族を愛する、日常で出会う他者を愛するという善良さは兜の圧倒的な強みとなる。そして医師の無機質さは臆病さの現れでもあった、といったところだろうか。 この物語は暗殺者の物語であり、かなりの人間が簡単に殺害されたり、身を滅ぼすことになる。 ところが読み進めると家族の物語、夫と妻のラブストーリーを読んでいるという体験に変わっている。 こういう物語体験ができるのはとても素敵なことだと思う。 そして、やはり幻のDの物語はあるのだろうか、Crayonだけ小文字が用いられているのは子供を巡る物語だったからなのか、と読んだ後も様々仕掛けがありそうな点もまた楽しい。

11日前

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マリアビートル

『細かいことはもはやどうでもよかった。早くこの、意味のわからない場所から立ち去りたかった。時速200キロ以上で「不幸」が疾走しているようにしか思えない。「不幸」と「不運」が連結して、七尾を運んでいる。』(pp.390-391) どうしようもなくついていない主人公。 前作(?)の主人公が善良さと残酷さの中間にいる鈴木なる普通の人であると考えるならば、今回の主人公は「不運さ」と「幸運さ」を対極とする主人公がメインのようだ。しかし、結局のところ幸運さと不運さを分け隔てるものはカミソリ一枚ほどの違いでしかないのかもしれない。 物語としては間違いなくおもしろい。

12日前

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題未定―安部公房初期短編集

気に入ったのは虚妄、題未定、鵜沼。 恋人関係寸前の男女が登場人物として出てくることも多い。 しかしどこか片方(特に男性側)は独りよがりで、共感性に乏しく、同時に残酷さ、未成熟な攻撃性さを持っている。 この未成熟な攻撃性や独りよがりさは他の短編の登場人物も然りであって、共感的な他者(家族や女性)を傷付ける。 そして救済はない。

15日前

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ベルリンは晴れているか

1940年代ベルリン。 まるで本当に体験したかのような生々しい描写が恐ろしい。 ベルリンという都市が見せた三つの顔。 戦前、即ちベル・エポック期。 WWI敗戦後、夏の終わりに間違ってうっかり出てきてしまったゴキブリの如く、スリッパの裏で完膚無きまでに叩き落とされ、こき下ろされたゲルマン民族の自尊心。 それを忘れようと煌びやかに飾り立てた豊かな文化を誇ったコスモポリタニズム的大都市ベルリン。 幻想的思想、いや、独りよがりで自慰的な夢想を基に再構築された砂上の楼閣、”世界首都ゲルマニア”としてのベルリン。 プレスの効いた制服を着たSSやヴェールマハトがいなくなり、代わりにヤンキーと赤農軍(あとモンゴメリ将軍とチャーチルと国王に忠誠を誓った軍)たちに占領され、廃墟と化し、人間の生き残りたいという渇望と生き残ってしまった罪悪感、そして文字通り”動物たち”が解き放たれた『神々の黄昏』としての、統合を喪い分裂したベルリン。 一つの都市が三つの様相を見せる。 かつて、最も先進的な憲法を有していたヴァイマール共和政の中間層市民たちは、世界恐慌の後拡大するプロレタリア階級と貴族(ブルジョアジー)の狭間に立たされて、不安と疎外感に陥った。 その不安と疎外感は失ったゲルマン民族の誇りに置き換えられ、国家社会主義や歪められた超人思想への傾倒を促した。 この作品でも主人公の親はドイツ共産党の支持者であり、孤児となった後彼女を匿ったのはブルジョアジーであった。 そして冷徹な目で周囲を観察し、不条理への憤りを抑圧し、葛藤が形成されている。 その葛藤はやがて攻撃性を刺激する。 その葛藤は『全て戦争のせい』だったのだろうか。 この主人公たちの戦争は終わったのか。 『戦争は終わった。世界は美しい。』(p.186)と言うが、この恐るべき暴力の時代と人の尊厳がタバコの紫煙ほどしか薄かった世代に美しい世界は本当に訪れたのか、『ベルリンは晴れているか』? 『この国は、もうずいぶん前から、沈没しかけの船だったんだ。どこがまずかったのか、どこから終わりがはじまってたのか、最初の穴を探し回っても、誰もはっきり答えられない。全部が切れ目なく繋がっているからさ。 だけど俺たちは意気揚々とーあるいはおっかなびっくりで船に乗り込み、自信満々で新しい国旗を翻させる船員たちに櫂をまかせた。』(P.459) この描写は恐ろしい。我々にこの自覚があるだろうか。 しかし、残念ながら物語として面白かったか、というと満足しきれない。 もう少し、ほんのもう少しだけ物語が生き生きとしていれば、ベルリンは晴れただろう。

2日前

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熱帯

合わせ鏡のような物語。 読み進めていく中でいま体験している物語はどの世界で進んでいたのか、いまの登場人物はどの次元での存在なのか、と不思議になってくる。 この物語のはじまりは不明瞭で到達点も曖昧。 だからこそ『この物語を最後まで読んだ人はいない』という台詞が活きてくる。 はじまりと終わりが不明瞭で不思議な物語でいうと円城塔『self-reference engine』を想起するけども、『熱帯』に大きな「イベント」は発生しない。 どこかふわふわとした白昼夢が継続する分、砂浜の地面から海水が湧き出してくるような不思議さに支配される。

6日前

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終末のフール

心地よい終末、穏やかな絶滅、緩やかな破滅、暖かい終焉、優しい破局。 それがこの物語体験だった。 解説でもキューブラー・ロスの「死の受容」の段階が記されていた通り、この作品は否認、怒り、取引、抑うつの段階を経て受容の段階にある人々が残りの日々を過ごす。 一つ一つの物語に派手なところはなく、終始心地よく、穏やかで、緩やかで、暖かく、優しいエピソードに包まれている。 それでも時折、あと3年程で間違いなくこの世界が終わり、自分たちの命も尽きる『最後の時』(p.369)が来るという決定済みの未来が覗いてくる。 その時、主人公たちよりむしろ、読んでいるこちらが恐ろしい気分になり、次のページで「世界の終わりはとんでもない誤報でした」とか「最新の観測によれば世界は終わらない事が確認されました」的な発表がされないかと願う。 その時、あぁ、主人公たちと違って物語を読んでいるこちらはまだ受容の段階に達していないんだ・・と洞察に至る。いや、愕然とする。 死の受容は必ずしも一方通行に進む訳ではなく、時に前段階へ戻ることもある。 この物語はディストピアものであり、終末ものではあるが、ゾンビも銃も出てこない。悲愴感もない。 しかし恐ろしく、心地よい気持ちになる。 その他 『『東京物語』と『帝都物語』って一貫性があるのかないのか、』(p.348)

9日前

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砂の女

ー罰がなければ、逃げる楽しみもない。 この小説は、自由で、開かれた、近代的な価値観を持つ都会から来た教師(インテリ)が、砂に閉じ込められた集落へ捕らわれ、だんだんと無感覚になっていく様が描かれている。 本来であれば、教師という個性が、「砂かき」なる没個性的な労働・存在になれるはずはない。しかし、集落から「女・水・食料・酒・タバコ」という生活必需品を与えられた主人公は徐々に没個性的存在へと変身していく。 おそらく、この作品が書かれた当時は日本の地方・集落(部落)に野卑さが残されていたこと、そこに文明をもたらすインテリゲンチャとその欺瞞云々といった時代背景があったこととは思う。 しかし、20世紀を経て21世紀へ至った現在の我々はどうだろう。 現在でも我々(都市生活者)は毎日満員電車に自分自身を詰め込み、職場へ向かう。しかし、労働に悦びはなく、苦行でしかない(人が多い)。 この状況は砂に囚われた集落と同じではないか。 「個性を大切にしましょう」なんて言われて育ってきた私らのような世代が「社会人として」なる蟻地獄に囚われ徐々に没個性化し、都市という煉獄に生きていることとなんらかわりなく、『「ぼくには、もっと。ましなことが出来るはずだ・・・」』(p.171)と自己愛を傷つけ続けているのではないか。 不条理とは共感の不足、または欠如であるかもしれない。 『お前は鏡の向こうの、自分を主役にした、お前だけの物語に閉じこもる・・・俺だけが、鏡のこちらで、精神の性病を患いながら、取り残されるのだ・・・』(p.151) 『「かまいやしないじゃないですか、そんな、他人のことなんかどうだって!」』(p.246) 共感の欠如はやがて人間の生き方、感じ方も変わってしまう。主人公は砂と砂の集落に囚われ、砂掻きをしながら同僚に誘われていった講演会を思い出す。『「労働を超える道は、労働を通じて以外にありません。労働自体に価値があるのではなく、労働によって、労働を乗り越える・・・その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです』」(p.177)そして、抽水装置という『なぐさみもの』の研究開発にも熱中するようになる。 共感が欠如し、周囲で起きていることに関心を払わず、もっぱら生活への適応にのみ神経を注いでゆく。 そして、人は孤独になっていく。『孤独とは、幻を求めて満たされない、乾きのことなのである。』(p.236) 読んでいて考えが膨らんでしまう、小説・物語を読むという体験をしつつ同時に、いろいろさまざま考えが膨らんでしまう。『「日本、いや世界の真相を最も小説的な方法によって書いている』(解説 ドナルド・キーン p.276) その他 『人間にはめいめい、他人には通用しない理屈ってのを持っている・・しかし僕には絶対我慢できないね。もう沢山だ!』(p.76) 『仮に、義務って奴が人生のパスポートだとしても、なぜこんな連中からまで査証を受けなきゃならないんだ!ー・・・人生はそんな、ばらばらな紙切れなんかではないはずだ・・・ちゃんと綴じられた一冊の日記帳なのだ・・・』(p.142)

10日前

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壁

幻想小説なのか、ディストピア小説なのか。 「理性」が問われていた時代。人々が活字を欲し、娯楽を欲し、小説を欲していた時代の小説。 理性或いは論理が暴力的に主人公に襲いかかる。全く了解不能の論理によって主人公たちは窮地に陥り、そして絶望へ至る。 この物語を通してどういう体験があったかはっきりと言語化するには自分の読書力が不足している。 しかし、物語として奇妙でおもしろい。 p.126『両極という概念・・・(中略)北極と南極との関係がそのいい例です・・(中略)みなさんの部屋もそれに対する極としての世界の果を発見することによって、はじめて真の世界の果たりうるというわけなのであります。』(pp.127) 『この両極という新しい性質の附加にもかかわらず、世界の果てへの出発が壁の凝視にはじまることには変わりないということ、そして旅行くものはその道程を壁の中に発見しなければならぬということ・・』(p.128) 『考えるは休むに似たし』(p.141)

12日前

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グラスホッパー

残酷さがある物語ではある。それでもどこか登場人物には善良さを感じてしまう部分が残されている。残酷さと善良さの狭間に立つ普通の主人公「鈴木」も日本で最も多い姓名の一つでもあり、残酷でもないしかし善良さも失った普通の匿名的男性という構造なのだろうか。物語としては面白い。でも残酷。

13日前

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