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Ken Gauteau

Editor, University

Editor, University of Tokyo Press

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コメントした本

石膏デッサンの100年―石膏像から学ぶ美術教育史

昔よく描かされた石膏像に再会し(実の親兄弟以上に見つめていたのに、親しみは湧かず、塗りすぎた、かたち大きく取りすぎたとか、数々の失敗だけが妙に鮮明に蘇る…)、その意外な来歴にびっくりしつつ(合成彫刻?)、いや、びっくりといえばここで紹介されている黒田清輝のデッサンの下手くそさの方がもっとびっくりしたのだが、そこにこそ日本の近代美術史と近代美術教育史のある特徴があるという著者の議論に深く納得。三重大学出版会の本を継承して出版された本ですが、三重大学出版会は修士論文であっても、とんがっていいものは出す(日本の大学出版では稀有、いや、世界でも)方針を敢えて掲げる所。よく見出されました!

6か月前

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電車道

実で虚を語り、虚で実を語る凄い小説。文庫化されましたが、その解説にある、この小説の「要約」(がいかに意味がないかを示すための)が秀逸。小田急や東急、阪急、阪神などの私鉄郊外住宅地の社会史は、ほぼこの通りの疾走を経たのではないか。ただ、大正新教育の創始者たちは、あまり「彼」のような人はいなかったはず。でも、ルソー的な、(洞窟に住んでるような)高貴な野蛮人(としての子ども中心主義)の比喩だとすれば、大変納得。

7か月前

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ゴースト

どの短編も、怪奇現象に立ち会っていながら、主人公達が怖がっていないという点で、晩年の人間の記憶の自由闊達さを描いた吉田健一の「怪奇な話」とも似ている。山を動かす魔法使いも出てくる「怪奇な話」よりも、さらにこの本は、青年や中年の記憶にも出てきてくれそうな、普通の、ありうる、ひどく納得できる心惹かれるゴースト達が登場する。都市や記憶のそこかしこに私達の意識がグッと引きずり込まれる一瞬を描くのが本当に上手い。

約1年前

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おとうと

はじめて読んで以来、弟の事を書いた小説だと思いこんでいたのだが、『黒い裾』(講談社文芸文庫)を読んで再読したら、昭和の初めごろの若い女性が弟の死とともに長い少女時代を終えるまでの心の遍歴の話だったのか、と思う。 物語の後半では確執あった継母が遠景に退き、父に出会い直す。(「黒い裾」の中では、この継母は夢の中で一人の若い女性に戻り、「ああこれでやっと継母でなくなる」と笑って伸びをして、あの世に旅立って行く。) 再読して初めて気がついたのは、辛い心境を聞いてくれる、まだ具体的な想像すら出来ない、しかし優しい「男性」の空想のくだり(顔が浮かばないので、彼女は「くびなしさん」と名付けている)。弟の死とともに、「姉」としての自分もこの世からいなくなる(小説の末尾、彼女は脳貧血で倒れるが、父は「二人子を取られたか」と思って狼狽する。 僕の祖母も、若いころ弟を結核で亡くしている。いつも誰かの祖母であり、母であったりしていたあの女性は、どんな心の遍歴を生きたのだろう。

1年前

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東京の戦争

大空襲の夜が明けはじめ、まだ炎の上がる街の崖下に、山手線の列車がいつも通り動き出す。失った我が町の生き残りに会えたような嬉しさ、日本の社会の律儀さへの感嘆とともに、他ならぬその社会が帰結した戦争への省察。時代も地域も全然違うけど、自分にとっての我が町東京を一番良く描いたエッセイはともし聞かれたら、私はこの本を挙げる。

1年前

妻が椎茸だったころ

この小説集は奇譚ではなく、リアリズムだと思う。例えばこの本冒頭章の、アメリカの老夫婦と生半可な英語の日本人のやりとりの叙述は「スーパーリアリズム」の域(自分の英語を省みられて苦笑が止まらない)。最終章の梅酒(ああ、美味しそう)や、(珍しい)濡れ場の叙述もそう。したがって、本書の主題章で、妻が椎茸であるというのも、至ってリアルな話であり、凄く良い小説です。僕も(たまにですが)、原木の上、僕の横で風に揺れている「もう一つの椎茸」と、お料理を作っています。

1年前

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京都の中華

花街のお客さんに匂いが写らないようにニンニクを入れない、きれいなお出汁の「引き算の中華料理」と、一方でのガッツリ濃厚中華の、歴史と人。関東者の私は、読んでるともう行きたくて、食べたくて、この人たちに会いたくて、ひたすら悶絶する。

1年前

白暮のクロニクル(1)

そうか、アマゾンの書誌データと連動しているので、こういう表示になるんですね(残虐なシーンもあるので、まだ小さな娘の目に触れさせないようキンドルで買って読んだ僕にとって初めてのコミックなので、ある意味よく対応しているとも)。「不死者を巡る殺人事件」の秀逸なサスペンス。個人的には主人公の勤める官庁の人たちの愛らしいリアルぶりがツボ。妙な深読みはヤボだけれども、国家、差別、犯罪(これらは個個人の愛らしい生活の総和でもあり、しかし有史以来「死なない」)の話だと思って読むと、本当に隅々まで漫画に描き切っているように思える。さすが、ゆうきまさみ!

約2年前

高丘親王航海記

甘くて、懐かしくて、かなしくて、大好きな小説。

約3年前

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記憶よ、語れ――自伝再訪

出た!若島訳のSpeak, Memory! ナボコフ生前の構想だったという「偽書評」の章も入ってます。

約3年前

渤海国とは何か

平安時代まで日本の隣にあった国の話。こんにち渤海を「自分の歴史」として奪い合う中韓の論争の存在は、渤海の勃興と滅亡がアジア・ユーラシア史の一つの転機だったからと説く。僅かな史料を複数の視覚で読みピース組み立てる面白さ。夢想しても仕方ないが、もし渤海が続いていたら、それがどんな国になっていたのか、というより、韓国も中国も、ロシアも、いまこうあるような国ではないという事だろう。

7か月前

鼠―鈴木商店焼打ち事件

知られざる真相が見事明らかになるのがノンフィクションの定石だとすると、この本の鈴木商店焼打ち事件は、新聞や政党の思惑や意図的な嘘、ばかりか、当事者同士兼ね合わない意識、言葉、記憶の数々で構成されている混沌だ。そうでしか、そう思うことでしか生きてこられなかった個々の人により、歴史の事件は起こされ個々の人を引き摺り回して暴発する。歴史の現場の現実とはこんなふうか、ある意味やはり歴史の「知られざる真相」の恐ろしい顔を見てしまったような読後感。城山三郎は好きでよく読むのに今までよく読めなかった小説。ある尊敬する老ドイツ法学者の方に勧められて読み、打ちのめされた。

11か月前

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ライト式建築

写真がいい、有名どころから殆ど無名の名作が収録されている、歴史観も記述も確かで基本も押さえという、戦前「ライト式」建築入門の決定版。現存建築だけで構成しており、実際に見に出かけられるのもよい。一方で著者らは、日本全国に当時、スクラッチタイルと大谷石でうわべ(だけ)を飾った多数の「なんちゃって」ライト式建築の存在もよく知っているはず。著者の関心ではないかもしれないが、次はこうした「庶民の野のライト式」の発掘と突っ込んだ議論を読みたい。

約1年前

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崩壊について

古今東西の崩壊した建物、その壊れっぷり、原因、構造の解説、伝承、などなど。こんな面白い本が十年前に出ていたとは、知らなかった。石を積んだだけのゴシックの教会なんて、よく崩壊しないなと思ってたら、本当はたくさん崩壊していたらしい。これから入るのかちょっと怖い(笑)。

1年前

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日本画と材料 近代に創られた伝統

「岩絵具と膠(にかわ)で描く」という材料が、なぜ近代日本の芸術のアイデンティティになったのか。洋画との競合と隠れた「受容」、岡倉天心らの系譜の創造、展覧会という制度、中国韓国との比較から追跡する。「伝統は近代に創造された」というのはよく目にするモチーフかもしれないが、画材分析、抄紙の歴史、合成岩絵具の発明など、具体的なモノの知られざる歴史と見事に組合わされた本。ノンフィクションとして読んでも本当に面白い。

1年前

壁の男

小さな町の家々の壁に、素人画を描き続ける男の動機。途中まで、男を追うライターの取材過程と、ライターの文章と思しき男の過去の叙述、というような構成に見える章が続く。しかし動機が明らかになる最終章(思わず涙)は、一体誰のナラティブ? ライターはここまで辿り着いていないように読める。ライター=所詮男とは別の生を生きている私たちは、彼の何を分かち持つ事ができるのだろう。(しかし、そして、物語は彼の絵が隣人に分かち持たれはじめる記述から始まる。)

1年前

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台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年

最終章、晩年の主人公のおしゃれな姿の写真が忘れられない。日本統治下の台湾に生まれ、日本の洋裁雑誌を読んで手に職をつけ、戦後台南で洋裁学校を設立し(そして閉じ)た女性の一生を、その息子が振り返る。訳者解説に書かれている通り、日本人だとどうしても日本統治時代に関心が行きがちなところを、その後の長い戦後を丁寧に追い、そして一族の歴史を振り返る形で清の時代の台湾にも触れている。すぐ読める、短い、可愛らしい本ながら、相当に吟味された歴史叙述観が感じられる。それは著者の見識であるとともに、母と母らが生きた時代への敬意であるのかもしれない。

約2年前

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仏像再興 仏像修復をめぐる日々

地域の人々の信仰、美術的価値、「文化財」行政の狭間で、修復家は仏像の「オリジナル」の姿と同時に「過去の修復者」にも出会う。修復の技術論も面白く、震災のエピソードも胸打ったが、思わぬ日本の近代史の裏面が描かれている。皆さんの町の一番歴史ある小学校も、神社の隣にありませんか? それは消えた寺院の跡地で、生き延びた仏像がどこかで修復家を待っているかもしれません。

2年前

忘却しない建築

建物は歴史を忘れない…。論説集で、全体のまとまりや探求の深さには「もうちょっと」だし、さらに、これを読んで僕みたいな首都圏に住む人間が「被災遺構は残しましょう」と能天気に主張するのも違うと思うのだけれど、いま自分たちの手をすり抜けつつある時間と、記憶と、それに対して建築だけが持っている力についての、とても重要なエッセイだと思いました。中国の震災遺構保存の例や、WTCのメモリアルに見る「保存しようという政治」の問題の危うさに著者は気づきつつも、3・11については、個々の被災者の気持ちともまた別に「保存しないようにする政治」がいま発動されつつある。それは原発再稼働も含んだ、復興という名の大きな忘却の時流と、期せずして一緒になっている。著者は、建築が、建造者や保存者の意図とも別に「歴史を忘れない」働きに賭け、なるべく多くの人に当事者になってもらい、震災遺構の意味ある保存とその形を考えようと誘う。「今でも遅くない、見にきてほしい」と呼びかける。それがたとえもう嵩上げされた更地であっても。正直怖くて、自分とゆかりある被災地すら、僕は行けていない。もう、腰を上げようか。

約3年前

王とサーカス

一度解けた謎が、振り返ると面白くなくなっている、というのは正しい。むしろ、この小説が言っているのは、私たちの人生に稀に訪れる謎解きは、一度解けてしまえば、最初の高揚はあっけなく去り、砂を噛むような風景が広がり、ただ巻き込まれるしかなかった無力感ばかりが襲うような、そんなものだと。けれども、この小説の主人公 太刀洗は考え続ける。ある区切られた範囲でしか生きられない自分と世界の関係を。拒否と非難を、自分に正面から告げてくれたひとの「親切」に感謝しながら。ああ、いい小説だった、もう一度読もう。

約3年前

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