いとうせいこうの本

ノーライフキング

ノーライフキング いとうせいこう

約30年前に時代を先取りした作品だったのに今でも色褪せないストーリー構成。いや、若干色褪せてはいるが、作品のメッセージは今も生きている。

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想像ラジオ

想像ラジオ いとうせいこう

(個人的な震災時の体験と思ったことを読書メモとして残します。ご了承ください) あの日のことを思い出す。 あの日は金曜日だった。 都心は電車が止まり、帰ろうにも帰れない。じゃあちょっと飲んで帰ろうか。そんな人も多かったと思う。 まだiPhone3GSと4の時代だった。 たった7年、8年前だったけど、情報が伝わるのは今と比べると信じられないほど遅かった。 東京では非日常の金曜日を楽しんでいた。 しかし、だんだんと津波の被害が伝わってきた。 iPhoneを持っていた人、PCのブラウザからニュースを見た人、充電を気にしながらワンセグを見た人。 そういう人たちからとんでもない事が起きているようだと伝えられた。 「電車のこと?」「ちがうよ、宮城県だって」「なにが?」「地震」「え、東京じゃないんだ」「宮城は津波がひどいって」「津波?30センチでも危ないらしいよね」まだ覚えている。こんな会話がなされていたことを。 その後は生きた心地がしなかった。 海岸に信じられない数の遺体が打ち上げられている。第一原発は全ての電源を喪失した、水素爆発した、避難所で物資が足りない、燃料は流されてきた車からとるしかない、都心もガソリンがない、水は汚染されたんじゃないか水を買い占めよう、もう東日本に人は住めないかもしれない、各国大使館員の退避と自国民退避命令、輪番停電、間引き運転、鳴り止まない緊急地震速報。 あの時以降、日常は損なわれた。 あの日をどう伝えるか。何をどう伝えると、後にどう伝わるのか。 東京大空襲、原爆投下、敗戦と同様に。 『相手の気持ちを理解しきれないと思う罪の意識があるからこそ、その言葉に耳をふさいでしまう』(p.126) 自分でなくてよかったという安堵と生き残った罪悪感。 我々はこの思いをどう伝えるか。 『無言で敬う』(p.130)事ができればいいだろう。しかし、それほど現代の我々は気丈でいられるだろうか。忘却こそ罪であるのに。 そこで、想像ラジオが聴こえる人と聴こえない人の章が活きてくる。 はじめは聴こえる人の特殊性が強調される。 そんなことありえないだろう。軽々しいシャーマニズムは冒涜でしかない。それもその通りだと思う。 どうしても思い出す。 流される直前までマイクに向かって避難を呼びかけ命を落とした人、屋根から手を差し伸べた人、階段の真ん中だけは空けて黙って座った人、停電に耐えた市井の人たち。そして絶望的な中で生存者を探し、遺体を探し、アルバムやランドセルを生まれたての赤ちゃんを扱うように丁寧に保存し、同時に原発を鎮めようと決戦に挑んだ自衛隊員、消防士、警察官と作業員、ボランティアたち。 こうした日本人の高貴さを。 想定外という言葉で罪を免れようとする者、他県ナンバーの車で乗り付けて被災住宅を窃盗する者、被災ゴミの受け入れを拒絶する者、震災にまつわる詐欺をはたらく者、疎開してきた子供たちを教師さえも一緒になってセシウムさんとあだ名していじめ抜いていく者たち。 こうした日本人の野蛮さを。 高貴さと野蛮さ。 どちらも等しく日本人の姿だった。 このことを忘れない。 こんなことを思い出しながら読み進めると、想像ラジオは普遍的な人間らしさを刺激してくる。 『え、これ、誰かのエピソードじゃないよね?はっきり僕の思い出だって感じてしゃべってたんだけど。』p.186 ここに至って、日常を失った人たちを思う。突然、予兆なく、完璧に日常を喪ったあまりにも多くの人たち。 いや、あの日以来、我々からは等しく「日常」なるものは永遠に損なわれたんじゃないか。 今でもあれ以前の日常は損なわれたまま、戻ってくることはない。 おそらく、これがこの物語で体験する生と死の狭間なのだろう。

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ラブという薬

ラブという薬 いとうせいこう

あいづち。自分の出番待ちのリズムを推し量るかのような、それでなく、耳を傾けることによって生まれる共感を示したその。返答でなく、ひとまずの肯定において、語る本人ですら確かでなかった辛さや不安を言語化し、客観視できるようにしてゆくこと。言いたくなっちゃう指摘や助言のような言葉を飲み込み、片隅に追いやり、そっか、そうなんだ、とまず受け止め、聞いてみる。簡単そうで、とても難しそうだけど、大切なこととしみじみ思うたのだった。

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「国境なき医師団」を見に行く

「国境なき医師団」を見に行く いとうせいこう

国境なき医師団「MSF」というらしい。 何も知らない私も、いとうせいこうさんと「見に行った」。というスタンスのおかげで(この日本にいる人間にとって、想像を超えた理不尽な不幸を)現実的に受け止めることができました。 ここに私的な感想を長文にするより、この本を手にとって知って欲しい。 「MSF」は絆創膏を貼りに行く。とても、印象深い言葉でした。 決して悲惨で苦しくて悲しい事を散らばしたような内容ではありません。深く静かに「見に行った」そんな感じです。 是非一緒に「見に行って」ください。

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ボタニカル・ライフ―植物生活

ボタニカル・ライフ―植物生活 いとうせいこう

これはもうだめだー 植物を育てる人なら必ず陥るであろう、あるあるネタが満載で死ぬほど笑った 盆栽を剪定できない アボカドの種を植えてしまう 食べるはずのハーブを育てたくなってしまい収穫できない もらった鉢の置き場所に悩み、平気で半日経ってしまう 書き切れないわー

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想像ラジオ

想像ラジオ いとうせいこう

急に命を奪われた人達の、最後のやりとり。 軽妙なDJ調のセリフのお陰で読み進めることが出来た。 常識の外にある小説なので、すべて正しく理解することは、難しい。ただ、リスナー(亡き人)が友人であったり、家族であったり、沢山の人々であることが、悲しくて……。 想像ラジオのリスナー達に悲壮感はあまり感じられません。読後は、ラジオから流れる音楽と共に最終ページを伏せました。

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