安部公房の本

題未定―安部公房初期短編集

題未定―安部公房初期短編集 安部公房

気に入ったのは虚妄、題未定、鵜沼。 恋人関係寸前の男女が登場人物として出てくることも多い。 しかしどこか片方(特に男性側)は独りよがりで、共感性に乏しく、同時に残酷さ、未成熟な攻撃性さを持っている。 この未成熟な攻撃性や独りよがりさは他の短編の登場人物も然りであって、共感的な他者(家族や女性)を傷付ける。 そして救済はない。

飛ぶ男

飛ぶ男 安部公房

再読。安部公房死後に見つかった未完成稿。まだ初稿とも呼べない、ラフスケッチのような状態なので、作品が出来上がる過程が見えて面白いです。

R62号の発明・鉛の卵

R62号の発明・鉛の卵 安部公房

アヴァンギャルド。 もはや死語であったはずの前衛がこの2020年に再読して生き生きとしてしまう。 「天は人の上に人を作らず」 ある種の人たちは自らの事を選ばれた人間だと思ってはいないだろうか。 実際には誰もが誰かを選んでいるだろうし、同時に誰も誰かを選んでなどいない。 無知のヴェールという概念がある。生まれる以前に人間は平等だが生まれた直後に不平等となる。 生まれた国、地域、親を選ぶことはできず、ヴェールを被された状態である。 だからこそ、明るみに出た瞬間に、恵まれた存在は公共性を保持するために努めなければならない。 無知のヴェールについて、日本人はあまりにも知らなすぎ、考えが浅はかすぎるのではないか。 この短編集を通してそんなことを考えてしまう。 貧困、搾取、復讐。 こんな時代は去ったと言えるのだろうか。 「死んだ娘が歌った・・・」 からは自由意志のもとに搾取され続ける貧困農民が描かれる。 P.138『「働きながら貯金ができ、働きながら勉強できてありがとうございます」と大きな声で言い、それに続いて、みんなも同じことを声をそろえて言いました。」』 グロテスクで悪趣味だ。 しかし、これと同じことを技能実習生なる制度のもとで行なっている。 ある学校教育でもこのレトリックが美徳であると教育している。 我々日本人の本質的なグロテスクさはいっこうに変わることなく生き続けてしまっているのではないか。 自己責任論が好きな新自由主義とは、昭和ではないのか、すなわち、近代への退行でしかないのではないか。 「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」 立場(階級)の差異が人の共感性を阻害してしまう。さらには高度に組織化されていればいるほど痛みや苦しみを感じ得ないようにされている。 これは単なる幻想に過ぎないのだろうか。 プレモダンな世界。 猜疑心、同調圧力、搾取、無関心。 これらは決して過ぎ去ったものではなく、この現在も継続・保続されているように思えてならない。 安部公房というアヴァンギャルドがリンボ界へ忘れ去られる時を迎えることはできるのだろうか。

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燃えつきた地図

燃えつきた地図 安部公房

ハードボイルド小説だ。或いはノワール小説的でもある。 ハードボイルドやノワールという物語の成立には都市という舞台は必要不可欠だ。 田園風景の中で、誰もが誰もの家族たりうる社会でハードボイルドもないだろう。 この物語も等しく、都市が舞台であって、さらに、拡大してゆく最中の都市とも言える。 この舞台装置はまったくノワール的と言ったら研究者には笑われてしまうだろうか。 都市において人や事物、そしてそれらに与えられた役割は完全に匿名的で交換可能な価値を持つ。 だからこそ、都市の機能は平等公平で自由である。 しかし、その内実は孤独で冷酷で不平等でもある。 P.293『「ほら、あんなに沢山の人間が、たえまなく何処かに向かって、歩いて行くでしょう・・・みんな、それぞれ、何かしら目的を持っているんだ・・・ものすごい数の目的ですよね・・・くよくよつまらないことを考えていたら、取り残されてしまうぞ。みんながああして、休みもせずに歩き続けているのに、もしも自分に目的がなくなって、他人が歩くのを見ているだけの立場に置かれたりしたら、どうするつもりなんだ・・そう思っただけで、足元がすくんでしまう。なんだか、詫びしい、悲しい気持ちになって・・・どんなつまらない目的のためでもいい、とにかく歩いていられるのは幸福なんだってことを、しみじみと感じちゃうんだな・・・」』 周囲に取り残されてしまうのではないかという恐怖、疎外感と、それを感じさせないための様々な装置、それは自販機だけの飲み屋、バー、屋台やカフェーだ。 しかし、脆弱な人間にこの都市は疎外感、嫉妬を感じさせ、自己愛を傷つける。 Pp313-314『「・・まるで自分が見捨てられてしまったような・・すこし違うな・・ひがみというか・・人生の、とても素晴らしいことが、僕にだけ内緒で、僕だけが、のけものにされて・・」』 疎外感、孤独感は、なにもある個人が脆弱であるからだけでは無く、都市という機能が人をそう感じさせるようだ。 P.353 『「自分が、本当に自分で思っているような具合に、存在しているのかどうか・・それを証明してくれるのは、他人なんだが、その他人が、誰一人ふりむいてくれないというので・・」』 この物語の核心は不明瞭だが、人が都市のなかで「蒸発」する現象として、解離性遁走もあげられる。 記憶が入れ替わり、全く新しい人生をはじめてしまう。 解離性障害の一病態だ。 およそ匿名的で交換可能な都市社会、近代社会においては、失踪し、新しい人生をはじめてしまうということも実はそれほど困難ではなかったのかもしれない。 そして、都市の日常における孤独からの逃避、いや、個人が個人であるための防衛として、遁走は有効な防衛機制だったのかもしれない。 しかし、現代ではどうか。 スマートフォン、SNS、マイナンバー、銀行口座・・ 給与も銀行振り込み、納税記録、年金など高度な紐付けがなされている。 そこへきて住民基本台帳(もはや死語だろうが税金の無駄だった)が導入され、マイナンバー制度(最悪なネーミングセンスであり税金の無駄になりつつある)も導入された。 全人格「的」労働ではなく、労働を含めたステータス・バロメータが含まれた「人格」が意図しないうちに形成されていく。 Covid-19のさなかにあって、銀行口座も紐付けられようとしている。 この2020年にあって失踪はかなり困難であって、さらにいえば公私の境界は曖昧だ。 それどころか常に他者のオピニオンが自己に入り込み、もはや対人境界まで曖昧になっているのではないか。 自分の意見は誰かの意見でしかないのではないか。 このアヴァンギャルドな小説を読み、モダン・ポストモダン社会との相違に思いが交錯する。

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密会

密会 安部公房

恋は盲目。アバタもエクボ。他者の介在を必要としない愛は、グロく、セクシャルでひどく純粋。

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砂の女

砂の女 安部公房

なんとも言えない、奇妙にリアルで幻想のような小説。 脱出する希望が、知らないうちに砂に削り取られ、馴染んでいく様は、なんとも言えない実感を伴うものだった。 最後は、そうだよな〜って思った。 あと、意外と女の描写がエロい。

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壁

壁 安部公房

砂丘の稜線を夕陽に照らされたソ連の戦車がこちらに向かってきた。照らされ現れるや否や、濃紺の日陰に入り込み、消える。いや、消えたのではない、グゴグゴグゴとそんな空気の揺れが塊になって押し寄せてくる。私は追われる身だ。母と妹を連れていかねばならないが、どこにいるのか。声は聞こえる。学友はすでに砂の一部になっているものもいた。私が遊んだ羊たちは黒い弾丸に包まれるように倒れ、砂に焼かれた。焼かれた毛が鼻をつく。 このイメージはどこからともなく僕の中に現れた。それはかつては記憶だったのだろう。高校1年生のとき、本郷の宿屋(赤いカーペットが敷いてあった)で皆で聞いた藤原作弥さんの話だったと思う。白い髭をたくわえたそのひとから発せられる不明瞭な声、不明瞭ゆえにイメージは際立った。それは追憶を追憶するというかたちで変形し、歪められ、再び整い、僕の前に物語として、現れ直した。 どうしてだろうか。こんなに悲しい話であるのに、砂漠に惹かれるのは。今になって強く思う。五木寛之がどこかのエッセイにシルクロードで行き交う人々と本を交換するという話が出ていたときも、風呂屋のタイル画に砂漠を発見したときも、砂漠はそうだった。 安部公房の作品を読むと砂漠を強く感じる。『壁』の第一部、S・カルマ氏の犯罪は曠野を胸の中に飼ってしまう話だ。それは現代人の心が曠野のように荒んでなどという話ではない。むしろ、曠野に引かれている、ノスタルジーとしてあるような気がする。『砂の女』の男も、最後は砂の中にとどまることを決める。 安部の過剰さは遠慮なしの過剰さだ。博士同士の会話も物同士の会話も、苛立つほど過剰だ。不快といってもいいほどだ。けれど、その意味がない会話の過剰さが示されたことが、この小説の新しさであったのかもしれない。 小説は世界観の提示だ、とは誰かが言っていた。意味ではない、世界観だ。そこを履き間違ってはいけないと、思う。

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飢餓同盟

飢餓同盟 安部公房

かつての温泉街花園を舞台に土着の支配者とひもじいと称されるよそ者が結成したアナーキスト同盟たる「飢餓同盟」戦後民主主義を象徴する「読書会」3すくみのわちゃわちゃした対立を哀しくもどこかユーモラスに描く。 招致された医師である森が町につくも一向に病院にたどり着くことができない阿部公房的な不条理たらい回しぐるぐる地獄や人間をいかなる機械よりも精密な機械と化してしまう!ドイツ製の怪しげな薬「ヘクザン」の実験台となった地下探査技師織木、飢餓同盟員に対し「たとえばソロバンを盗んでこい、財務部長らしくなるために、明日までに割り算の九九をおぼえろ。電球を三つ盗んでこい。将来キャラメル工場の煙突塗り替えるために、毎日電柱にのぼる練習をしろ。姉さんの指紋をとってこい。電気コンロを盗んでこい。そして昨日は姉からヴァイオリンを盗んでこいというわけだ」P185と無茶ぶりをするリーダーの花井(ヒロポン中毒)等々奇妙奇天烈な登場人物が繰り広げる人間喜劇。

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他人の顔

他人の顔 安部公房

マスクをしていないと、奇異な目を向けられる昨今において。 主人公はもはや妄想観念的な執着心でもって仮面を作り出そうとする。 しかし、この執着心やら孤独感とはどこに源泉があるのだろう。 顔、なのだろうか。 P.74『怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心えおつくり出す。』 こだわりの強さ、情緒交流の乏しさ。 そこに、恐るべきボディイメージの歪みと疎外感が加わる。 P.80『流行と呼ばれる、大量生産された今日の符牒だ。そいつはいったい、制服の否定なのか、それも、新しい制服の一種にすぎないのか』 これは昨今でもまったく同じ現象を容易に思い浮かべられる。量産型女子大生とか男子大生とか、就活スーツ、或いはカジュアルオフィス、クールビズ等々。 そこに根底に流れる疎外感と自尊心の欠如がさらに妄想分裂的心的態勢へ退行させる。 P.82『ぼくに必要なのは、蛭の障害を取り除き、他人との通路を回復することなのに、能面の方はむしろ生にむすびつくすべてを拒否しようとして、やっきになっているようでさえある』 このジレンマはマスクをすることで、他者と交流を試みて、しかしマスクという符牒がなければ交流できないという現在の我々のもどかしさとも重なるようだ。 次第に、人格が徐々に交代する。 しかし、これはマスクへ投影された自己像であって、そもそも欲求の投影をはじめから試みていた事もわかる。 それは妻への攻撃であり、この主人公の性的欲求と攻撃性が未分化な未熟な人格構造の投影でもある。 この物語が読みにくいのは当然でもある。 妄想性障害。 奇妙な数式と論理。訂正不能な認知がこの病理を想起させる。 もっと詳しく生育歴を調べたいものだが、二重の父性など元来から葛藤深い人格構造のようでもある。 そして、彼の知能は抽象的思考優位のようでいてその実具体的思考の域を出られていない事も妄想的思考たらしめている。 数学のような体裁であるが、しかし実際は算数の域を出ていない、というべきだろうか。 いずれにしても、読みにくく了解不可能な物語である。 解説(大江健三郎)のアンバランスさ、とはまさに。

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カーブの向う・ユープケッチャ

カーブの向う・ユープケッチャ 安部公房

公房の短編集。「砂の女」の原型になった「チチンデラヤパナ」が収録されています。私は砂の女より、こちらの原型の方が好きです。公房は短い言葉でわかりやすく、難しいシーンを説明してくれる所が好きなんですが、短編だと一発でシーンや空気を伝えてくるから、ラストの一行が効いてて、初めて読んだ時ブルッときた覚えがあります。

水中都市・デンドロカカリヤ

水中都市・デンドロカカリヤ 安部公房

「世にも奇妙な物語」のような、奇妙な世界観にはまります。不気味で、面白い。 自分の想像力を試されているようでもある。

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第四間氷期

第四間氷期 安部公房

AIもののSFとはこの物語を端的に表すジャンルであって、しかし、この物語について何も語りきれていない気もする。 この物語は、旧態依然とした世代と新しい世代や未来世界との断絶の物語だと思う。 解説では、作品が世に出た当初の日本、すなわち田園・農村社会から急速に都市化へ移行する中間領域の社会が投影されていると論じている。 プレモダンからモダンへ、農村から都市へ、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ、田畑からビルヂングへ。 しかし、いくら鍬を捨て、ネクタイとポマードを手に入れても、蛍の光からネオンの光を手に入れても、個人も社会もなんら変容していないのではないか。 そしてこの2020年には、プレコロナとアフター・ポストコロナを巡る、「新しい生活様式」なるダサいネーミングセンスの中間領域と、その後の社会変容への恐怖を想起させる。 P16.『世間が幾本の柱で支えられているのかは知らないが、少なくともその中の三本は、不明と無知と愚かさという柱らしい』 しかし、他ならぬ「世間」とは主人公のようだった。 優秀な開発者で研究所長は奇怪な事件に巻き込まれる。 そのうちに、若い研究者たちから突きつけられる言葉が重い。 日常に平和を取り戻そうとする主人公に共感していたはずが、徐々に、彼が旧態依然とした古臭く、劣った害悪な存在に思え、代わりに若い研究者たちの思想が新しい(ナウい?)ように感じる。 P.259『結局先生は、未来というものを、日常の連続としてしか想像できなかった。(中略)断絶した未来・・・この現実を否定し、破壊してしまうかもしれないような、飛躍した未来には、やはりついて行くことができなかった。(中略)未来をただ量的現実の機械的な延長としか考えていなかった。だから観念的に未来を予測することには強い関心を寄せられたけど、現実の未来にはどうしても耐えることができなかった。」』 しかしこの頼木のセリフは実にダブルバインドである。 「先生」は量的な現実の連続体でしか未来を予測できず、頼木らはそうではない。 しかし同時に、「先生」は観念的な未来は関心を抱けるが、現実の未来には耐えられない。 すなわち、彼の言説は矛盾している。 量的とはすなわち極めて現実的・具体的・客観的であり、観念的とは抽象化された着想、思想、哲学である。 頼木が言いたかったのは具体的思考への批判だったのかそれとも抽象的思考への批判だったのだろうか。 およそ知能の発達は具体的思考を経て抽象的思考を獲得してゆく。 ピアジェらのいう具体的操作期から形式的操作期への発達である。 頼木は何を批判し、糾弾したかったのか。 そして、頼木或いは「新しい生活様式」について何を見たいのか。 この2020年にあって安部公房の物語はどれもこれも恐ろしい。

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榎本武揚

榎本武揚 安部公房

安部公房が書く歴史小説ってどんなの?と気になって読んだけど、構成に安部公房らしさが詰まっていてニヤニヤ。この小説の榎本像、大鳥像、土方像は独特で他にはありません。

無関係な死・時の崖

無関係な死・時の崖 安部公房

物語はフィクションであると分かっていると思いつつも、さも当然の事のように現実にあるのではないかと錯覚させるような文の力があります。 独特な言葉まわしが非常に面白く、この人って頭の中どうなってるんだろう?と本の内容とは別に安部公房さんの人間性に興味がわきました。 この著者の世界観を味わいたいのであれば、まず最初にこの本を勧めると思います。

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笑う月

笑う月 安部公房

「夢」をモチーフに語られる17編の話。エッセー風の話からショートショート風の話まで。 不条理を感じるものが多く、正直安部公房の感性というのは自分にはまだ理解できない。それでもまあ面白いと思えたのは、漂流生活の中で誰が犠牲になるかを決める、「自己犠牲」という話。生き残ることよりも、犠牲になることを争うというのが新鮮だった。とはいえ、この話もなぜこの結末を持ってきたのかよく分からない。

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カンガルー・ノート

カンガルー・ノート 安部公房

安部公房再読月間。カンガルーノートとかいわれ大根。うーん。

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