與那覇潤の本

歴史がおわるまえに

歴史がおわるまえに 與那覇潤

第一部は呉座勇一や東島誠らとの対談。第二部は安倍政権や橋下徹らへの時評。第三部は、1970年代からバブル期までを山本七平を手掛かりに考察した短文集。第四部は『歴史学者廃業記ー歴史喪失の時代』、『偶然性と代理ー歴史の不在を生きる技法とは』『歴史なき世界のはじまり』の三つの文を収める。最後にベンヤミンが援用されるのが象徴的。斎藤環との対談『補助輪付きだった戦後民主主義ーヤンキーと国家』では、陽明学は「勉強して小理屈ばかりこねるインテリは、かえってそのことで世の中を見る目が曇っていく」というヤンキー文化である、と論じられている。

「日本史」の終わり

「日本史」の終わり 池田信夫

いやあ、刺激的な本でした! この国のかたちをこんなにクリアーに示されたものを読んだのは初めてかも。 日本は明治維新で近代化などしなかった。その根幹は江戸時代の延長でしかない。であるが故に制度疲労が顕在化して…とかなんとかで、なるほどと。

知性は死なない 平成の鬱をこえて

知性は死なない 平成の鬱をこえて 與那覇潤

知性とは、言語によって構成されている「知識」とイコールであり、それは個人に帰属するもの、という前提で著者は生きてきた。1990年代、大学院重点化が進展し、自らの能力で複数の職場を渡り歩く新自由主義的な生き方が理想とされるなかで、ますますその考えは強固なものとなった。しかし少しずつその前提が綻びはじめる。SNSの発達。著者もツイッターアカウントを持つが、それが職場である大学で波紋を呼んでしまう。橋下徹によって学者達が「現場を知らないバカ」と撫で斬りにされ、当の学者達のなかからも、身体に備わった生活知を重視する内田樹のような者が台頭してくる。双極性障害Ⅱ型と診断され、知性を失ってしまったと嘆いていた著者に、他の患者達は親しく接してくれた。学者という肩書きや、大学という職場を明かしていなかったのに。それが友だちなんだ。属性や能力関係なく繋がれる人間関係がこの世にはあるのだ。そして知性とは、他者の持つ知性と響き合うことによって価値を持つ、各々の歩み方なのだ。ギブソンの〈アフォーダンス〉とハイデガーの存在論の親和性についての示唆にはドキッとさせられた。

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