辻村深月の本

傲慢と善良

傲慢と善良 辻村深月

確かに恋愛小説だった。 日本的感情表出型家庭。 「隣のナントカさん家のホニャララちゃんはこうなのに・・」「親戚のあの子は大きい会社に就職して・・」「小学校の時のナントカちゃん、もう結婚して子供もいるんだって・・」 これは決して珍しいものではなく、実際にはよく見受けられる日本的家族コミュニケーションのカタチでもある。 このコミュニケーションの形は増えてもいないし減ってもいない。 しかし、終身雇用も年功序列型の昇給もなくなり、年金制度も概ね崩壊している替わり(?)に、FacebookやInstagramが存在する現代において、この家族神話だけは神聖にして不可侵であるようだ。 この神話の中で『普通に恋愛』(p.289)できなかった人たちは、『在庫処分のセールワゴン』(p.212)で自分にピッタリあう商品を探しているつもりが実際は長所と短所だの、履歴書(身上書)だのを作りつつ、浮かないようにと服装と髪色を周囲に合わせ、個性を出すべきか没個性を出すべきか悩んでいる間に自分が在庫処分ワゴンに載せられている。「増税前にどうぞ」なんて札もマジックで書かれてたりして。 そしてワゴンにいる事が恥ずかしいような、手にとってみて欲しいような、そもそもワゴン漁る客はこっちだったはずなのに・・なんて哀しくなる。 この哀しさはきっとアップデートされない神話によるものだろうし、この神話に生きる人たちは皆、『「皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛の方はとても強いんです。』(p.109)ということだろう。 アップデートされない神話のことを神々の黄昏と呼ぶとカッコイイよとワーグナーが昔言ったとか言わないとか。 いずれにしても傲慢さ、とは自己愛のことだろうし、善良さは愚鈍さのことで、どちらも日本人の性質である。 かつて土井健朗は、日本人のパーソナリティについて「甘えの構造」があると分析した。 結婚によって、『親に代わる依存先』(p.407)となる別の「イエ」に入るという事も「甘え」の力動によるものが大きかったのだろう。 しかし、それぞれがそれぞれの強固な家族神話を有し、『「自分の物語が強い』(p.136)と、少しづつ、コミュニケーションに、大切にしたい事、されたい事にズレが生じる。 主観と主観の狭間、間主観を共有できず、互いに知覚されている事実にズレがうまれ、なんで結婚したいのか、「70%の相手」でいいのかと考え始める。 この『傲慢と善良』の時代になぜ結婚するのか。 神話を再現するためか、先に結婚して孫ができたナントカちゃんをこれみよがしに羨ましがった両親をはじめとした周囲への仕返しのためだろうか。 『長い長い、人生で。出会いなんてなくて。この先、自分が一生一人かもしれないと不安に思って。周りから結婚していないことで何か思われていそうだと思って、どうにか、一人じゃなくなりたいと、結婚したい、人と付き合いたい、恋人がほしいと思っていたんだとしたら。 私のように。 ありえない、と蓋をする前に、ほんの少し、考えてみても、よかったんじゃないのか。』(p.381) 物語の最後の段階でようやく、主人公たちは「自分の意志」を示しはじめる。ここでようやく自己愛を乗り越え、他者と自分を理解し、赦し、『次の場所』(p.375)へ進む事ができたのだろう。 確かにこの物語は”恋愛”小説だった。 こんな事ばっかり考えてるから自分はいつまでも結婚できないんだろうな、と思うのは傲慢だろうか。

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小説「映画 ドラえもん のび太の月面探査記」

小説「映画 ドラえもん のび太の月面探査記」 辻村深月

自他共に認めるドラえもんファンである小説家、辻村深月が書いた「映画ドラえもん」の小説。 月面探査記ということで、舞台は月・宇宙などなど。「月にはウサギがいるはず!!」と言ってジャイアン達に馬鹿にされたのび太君がドラえもんに泣きついて出してもらったひみつ道具、「異説クラブメンバーズバッジ」が今回の鍵になる。 『世の中の常識・定説ではない、異説として言われ続けてきた事を現実にする』という道具で「月の裏には空気があって、生き物が住める」という異説の世界に行き…といった内容。 映画の視聴はしていないけど、読んでいて情景が浮かぶような感覚がした。子供の頃に見たドラえもん映画シリーズのワクワクするような空気が滲んでいる。 久しぶりにドラえもんを観たくなった。

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宮辻薬東宮

宮辻薬東宮 宮部みゆき

豪華なメンバーの書き下ろしアンソロジーです。 落とし所が皆さんそれぞれなので、ドキドキしながら読みました。

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盲目的な恋と友情

盲目的な恋と友情 辻村深月

図書館借本。初読み作家さん。読み始めたら一気読みでした。恋に友情に執着する事が人を精神的に追い詰める...自分の事情に冷静に、客観的になるのは難しい事なんだろうなと感じました。

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江戸川乱歩傑作選 蟲

江戸川乱歩傑作選 蟲 江戸川乱歩

乱歩の中でも幻想色強めの著作を集めたもの。「人でなしの恋」「押絵と旅する男」「目羅博士の不思議な犯罪」は全作中でも特別好き。

青空と逃げる

青空と逃げる 辻村深月

窮地に陥った時、それも絶体絶命の時にどうするか。 逃げてというメッセージは多いがそれだけでよいのか? 辻村さんは躊躇なく助けを求めて!という。そしてできれば助けを求める時に、何かしら自分の得意技があれば理想で、なくてもできることをすれば世の中捨てたもんじゃないと。 助けるほうにも、相手が恐縮しすぎないように配慮できれば、いいなぁ。

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短編学校

短編学校 米澤穂信

2017/10/19 読了 少年・少女が大人になる瞬間を描いたアンソロジー。米澤穂信、本多孝好、関口尚、辻村深月、今野緒雪、それぞれ楽しませてもらった。それにしても、なんでこの短編集のタイトルが学校なんだ?

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かがみの孤城

かがみの孤城 辻村深月

死と再生の物語だった。 不登校は学校へ行くという選択しかしなかった人たちが理解する事は難しく、特に親の立場であったなら、自分の子供が学校に行きたくないと言ったら動揺し、登校を促進し、或いは失望するかもしれない。 残念ながらこの2019 年はまだ学校に行くという事が「普通」であって、学校へ行かない事は「普通ではない」と考える人が多いのが実情だろう。 実際には保健室登校や相談室登校、学区外転校も可能であるし、義務教育期間であれば、各自治体の教育委員会に設けられている「教育相談施設」で教育相談の他、母子並行面接などのカウンセリングもうける事ができるし、適応指導教室も存在する。 「適応指導教室」って名前はまるで某国の「労働改造所」的ネーミングセンスだが実際はそんなおそろちい場所ではなく、学校的な空間に戻らない・戻れない・戻りたいけどまだムリ、という子どもたちの居場所として各自治体の教育委員会が運営しているフリースクール的空間である。 もちろんNPO運営フリースクールだってあるだろう。ようするに、選択肢はたくさんある。 この作品でも不登校がテーマであり、主人公たちは等しく学校(或いは家庭にも)居場所がなく、成長途中の人間に最も必要である「安心感」と「保護感」が損なわれている。 そこで、幻想的空間である『かがみの孤城』が彼女・彼らの居場所となる。 ジグムント・フロイトからはじまり脈々と発展してきた精神分析学の治療構造は、非日常空間を人工的に用意し、そこでの体験を通じて葛藤の解決を目指すことが共通の土台であって、『かがみの孤城』はまさに、治療空間として機能しているように感じられた。 この孤城において子供達は、失った安心感と保護感を感じ、自分達の共通点と相違点を見出していく。やがて自分を理解し、他者を理解し、自他双方を赦すという体験をする。 はじめのうち、この子たちはどこかぎこちなく、独りよがり。 同じ空間に何人かいても独り言と独り遊びのようである。 しかし、徐々にひとりごと(モノローグ)は対話(ダイアローグ)となり、ひとり遊びはごっこ遊びを経て共に遊べるように、関係が深まっていった。 この変容が生じたのは言うまでもなく日常から外れた非日常空間だったからであり、非日常空間であるためには「ルール」が必要となる。 関係が深まったところで重大なルール違反を犯した子どもがいた。ルール違反には相応の劫罰があるが、それは乗り越えられないものではない。 ここまで来て、別れの段階へ至る。 しかし、別れはもはや彼女・彼らの世界を壊してしまう恐ろしいものではなく、安心感と充足感に満ちた安全で未来へ進むための別れである。 この子たちの心の中で安心感は恒常性を保った強いエネルギーになっただろう。 この物語は死と再生の物語であり、死の床に臨む、即ち臨床的な物語だった。

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光待つ場所へ

光待つ場所へ 辻村深月

1人1人にストーリーがあって、それはどこかで繋がって、ひとつの世界ができているんだなあとか思ったりします。

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