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コメント

大切な人の死を通して、わかる事って沢山ある。
そんな事を改めて考えさせられました。
現代でこういう家族の姿って多い中で、吉子のちょっとだけぶっ飛んだ性格が好きでした。
この本みたいに、顔には悲しみが出てない人達ってきっと多いんだろうし、人を失った悲しみを実感するときは人それぞれなんだろうなぁと思いました。

身近な人の死って、そんなに神聖で深遠なものじゃない。欲望や人の本性が知れる、生々しい場なんだ。ということに気づかされる。

読者

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文芸

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にんざぶろう

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4人の医学生の生活と、卒後の人生を描いている。 四者四様で、学生であれば「わかるわ〜」と唸ってしまうような同じ価値観の登場人物が見つけられると思う。(修三だけは例外かな?) 個人的には和丸のパートに自分を投影することが多々あった。

約21時間前

砂漠ダンス

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Kenny

読むこと、書くことが好きな人

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