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あの子は、どこから戻れなくなったんだろう──東京で働きながら小説家を目指していた今日子は、震災が起こった翌年に夢を諦め、母のすすめで実家に戻る。妹とその夫... 続き

コメント

(文藝春秋 412頁)

『ふがいない僕は空を見た』で骨抜きにされて以来の窪美澄作品。

わずか七歳の女の子を惨殺した十四歳の少年A。そして過去・現在・未来と続く何かしらの因果関係によって その少年Aと運命を共にしてしまう数人の登場人物。何とも救われない物語。苦しく、辛く、耐え切れぬほど虚しく。
しかし、…希望する。

人々のそれぞれの感覚には何かしらの繋がりがあり、実は共鳴しない部分など 無いのかもしれない。しかしそれはあくまで奥深くに流れる“何か”であって、表層的な部分の違いは明確にある。この作品はややもするとその明確な違いがなければいけない表層的な部分すらも漠然とさせてしまう危うさもある。

こんな残虐な物語に希望を感じてもいいのか?人の腹をかっ切り中身を出して見ることと、人の中に鬱積したもどかしさを芸術的・文学的に表現することを繋げてもいいのか?この作品を読んで希望を抱く人間は、確固たる正しさの信念がある人か、少年A等のように常に頭の中に流れ続ける “ニルヴァーナ” と葛藤している危うい人なのではないか。

この本を読みながら何度も挫折しそうになり、しかし何度も希望を見て、最後の最後に音を立てて希望が虚しさに飲み込まれ、しかし窪美澄の独白ともとれるラストに自らを立て直す。それは、

決して心の中に灯された希望などという美しいものではなく、常に手首の輪ゴムをパチ パチと弾き 必死に歯を食いしばり力の入らぬ痙攣する脚で 踏ん張り立ち続ける意地のようなものだ。

窪美澄の不器用さ、生き方の下手くそさに私の父・母性が刺激される。また他の作品も読んでみようと思ってしまう。体力と精神力を必要とする作品だが、気になる方は是非。

その他のコメント

今日子、莢、そしてなっちゃん。事情は違えど、三人の女性は閉塞感を抱えていて、そこから逃れる希望の光としてAに縋っている。迫りたいものがあるという心理。きっと当時、口には出せないもののそうした見方をしていた人もいたと思う。

実在する事件を題材に、それに対する多様で複雑な思いを三人に託した形で進められる物語だが、やはり被害者・光の両親の心の揺れ動きと、光亡き後の家庭の歴史、みたいなところに一番胸をつかれる。

窪さんの本は今まで何点か読んでいて、新刊を書店で見かけて、しかも最初のページに『書店員』の文字を見つけて、これは!と思って買いました。
内容は、、今まで読んだことのある窪さんの小説とは違ったとだけお伝えします。

読者

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窪美澄の本