41phbmhjutl

はじめて沖縄に出会い沖縄病になって、勝手なイメージを沖縄に当てはめ、押しつけていた20代。本書はそんな著者の、やむにやまれぬ思考が出発点になって書かれた、... 続き

コメント

学会無事終了後帰宅路の新幹線にて久しぶりのよりみちパン!セシリーズ。計らずも慰霊の日と重なる。何も出来る事はないが、その歴史の記憶を忘れずに留める。

過去の一瞬が七十年の時間を経て再び交差する瞬間に
出会うこの場面に長い人生の重みを感じる。
「どの経験も、どの物語も、すべて沖縄である。聞き取りの目標を百名にして、いまこの文章を書いている現在、四十名ほどの方から聞き取りをしているが、そのなかで数名の方が、共通して『空襲のとき、那覇港の石油タンクが燃えて、その光がここまで届いた』という話を語っていた。小禄のほうまで、あるいはもっと遠く、首里のほうまでその光が見えたという。この語りは県史などのほかの資料でも語られている。おそらく当時の那覇周辺の人びとの多くが目にした光景なのだろう。あのとき膨大な人々がほんの一瞬だけ、同じ音を聞き、同じ方向を向いて、同じ火を見たのだ。だが、その瞬間はすぐに過ぎ去り、違う人生が再び始まる。語り手の方々はみな、筆舌に尽くしがたい苦労を経て、それぞれの道を歩んだ。その道は、沖縄中、あるいは日本中・世界中に分岐し、枝分かれして、そのほとんどは二度と交差することがなかった。語り手の方々が語る人生の物語は、まさに沖縄戦後史そのものである。戦争が終わり、戦後復興期もやがて過ぎ、高度経済成長と復帰運動の時代になり、そして復帰後の不景気を乗り越え、バブルを経て、現在の沖縄へと連なる、個人史の長い物語が語られるのだ。あの火を目撃した人びとは、その後のそれぞれの人生の中で、公設市場の八百屋になり、県庁の公務員になり、タクシードライバーになり、本土に出稼ぎに出かけ、琉球大学を卒業して教員になって、それぞれの長い人生を歩んでいく。そして私は、そうした人生の物語に、小さな公民館で、国際通りのカフェで、あるいはご自宅で、ゆっくりと数時間、耳を傾ける。あの瞬間に一瞬だけ同じ火を共に眺めた人びとが、それぞれの長い人生の軌跡を経て、たまたま私と出会い、あのときに見たあの火の話を語る。七十年という時間を経て、火の視線はもういちど交差する。」P.127~128

この著作は、沖縄についての研究が専門の岸政彦さん自身が、はじめて沖縄と出会って、沖縄病になって、自分勝手なイメージを沖縄に対して当てはめてしまっていたときのことが、思考の出発点となっているようです。

なぜ沖縄は、それを語る真面目な言説でさえも、「自分にとっての沖縄」というものを沖縄へ押し付けてしまっている側面が拭えないのだろうか。

そこに「本土/沖縄」という境界線があり、語るものは常にそれを抱きながら、軽々と乗り越えては行けないのだが、すぐにそれを忘れてしまう。そんな語られ方を分析し続け、まだ発見されていない新しい語り方を真摯に考察する本です。

『沖縄戦のさなか、米軍の攻撃を避けるために、ガマと呼ばれる洞窟にたくさんの住民が避難した。子どもや赤ちゃんが大きな声で泣き叫ぶと、それで敵にみつかってしまう。だから、親たちは自分の子どもや赤ちゃんを、自分たちの手で殺した。そういう話が多く語り伝えられている。』

この本では、大勢の方に直接聞いた話を具体的に引用しています。

『大規模で凄惨な地上戦と、それに続く27年間の米軍統治を経験した沖縄に、本土と異なる社会規範が形成されたとしても、それほど不思議なことはないだろう。』

あらゆる「沖縄的なもの」は、気候や民族的なものへ還元されるべきではないと、著者は言っています。

おだやかな文体で断片的に語りながら、本質的な部分にしっかりと触れていくしぐさは、前に読んだ「断片的なものの社会学」と共通で著者の魅力ではないでしょうか。

文献化されていない、一般の人の日常的な記憶を直接聞き取り記録するオーラル・ヒストリーは、それによって言語化されていない複雑で微妙な、当事者でしか分からない感覚へ近づこうとする行為。

目の前の家族ですら、その経験を取って代わることは出来ないし、そうやって蓄積された感覚の差異へ自覚的になり続けることも出来ない。単一民族で移民も少ない日本において、その感覚は増すばかりだ。以心伝心とは言うが、実は様々に存在している差異へ思考停止している部分も大きいのではないか。

僕らはいつも自らの社会を批判的に語り、世の中の矛盾へいらだちを表明しつつ、自身が思考停止している部分の「大きさ」へ気付かないフリをすることに慣れきっているのではないか、そんな痛い部分を拾われる思いでした。

著者の岸政彦は沖縄を研究している社会学者だ。
話題となる著作もいくつかあり、メディア上で本人の語る沖縄の話が面白かったので、いつか著作をちゃんと読もうと思っていた。
たまたま、高崎の新刊書店Rebel booksで見つけて購入した。

著者の沖縄をめぐる自意識がヒリヒリと伝わってくる本だった。
それは“沖縄病”をわずらい、「沖縄らしさ」(例えば、沖縄の地域コミュニティの強さと言われるものとか)をめぐる議論に対して誠実に答えようとする姿勢からくるものだろうと思う。

「沖縄らしさ」を、例えば東京との相対的な位置付けとして語る時に言えることは、タイやフィリピンと比べた時に同じように言えるのだろうか?という疑問。
それは「立ち位置」によって都合よく「沖縄らしさ」を利用する事にもつながる。

「立ち位置」をどこに置いているのかと自問することは著者の出身が本土である以上考えざるを得ない部分だろうし、読んでいる自分もまたそうだろう。「ただ考え、そしてその考えたことについて書く、ということぐらいしかない」(本書24頁)と、その自問自答の試みがこの本だと思う。

著者は沖縄の研究、生活調査をしながらずっと自分の「立場性」を考え続けている。

どのように沖縄を語ろうとも、ある種の政治性からは逃れられない。
沖縄について基地問題や貧困のような弱い立場を強調して語ることも、逆に多様さやしたたかさをそれに対するアンチとして保守派が語ることも、さらには語らないことも、その政治的立ち位置の問題を回避するために「『沖縄とはどういうところだと語られてきたか』をみる…結局のところそれは、沖縄そのものについて語る『責任』を回避しているのだ…それもまた、とても政治的な選択である」(本書240頁)。

著者は、硬く言えば「責任」を引き受けているから考え続けているのだろう。

この最後の章、「境界線を抱いて」というタイトルとその内容は以前読んだ『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、松村圭一郎著)にも通じる。
『うしろめたさ〜』は断絶された境界のこちら側(日本)と向こう側(エチオピア)を構築人類学という手法で断絶を飛び越える可能性を探っていた。

日本本土と沖縄の断絶、どこに断絶があるかと言えば、その非対称な関係にある事が考慮されなければならないという。
日本本土と沖縄にある非対称な関係、基地問題や貧困、地位協定のような大きな話の中での非対称な構図だ。
一方でそれらも利用しながら多様でたくましく生きる生活者の小さな話もある。
大きな話と小さな話を結び付けるように語る、その試みが本書にはいくつもある。時々挿入される写真もそうした試みの一部なのかなと思わされる。
そういう読者の立場を揺さぶられる、非対称な場としての「沖縄」を考える為の入門書なのかもしれない。

興味深い指摘や語りも多かった。
例えば、本土復帰までの景気の良さに関する話はその一つだ。
「復帰前の沖縄の失業率は、一~二%と、きわめて低い水準で推移していた。経済成長率も毎年九%前後で、日本本土に比べて遜色がなかった…この成長をもたらしたのは…基本的には沖縄の人びとによる個人消費と民間設備投資と住宅投資だった」(本書108頁)

こちら側(日本本土)と向こう側(沖縄)の二元論にならない、新しい語りを模索する著者の試みを今後も読みたい。
相対的に生まれる「沖縄らしさ」だけではなく、生活者から見える「歴史と構造」から出てくる「沖縄らしさ」を。
「いまだ発明されていない、沖縄の新しい語り方が存在するはずだ」(本書249頁)とあるように。

ところで、本書を機に「沖縄の、あるいは『マイノリティ』と呼ばれる存在のことについて、あるいはまた、境界線そのものについて考えるきっかけにしてもらえたら」(本書25頁)と冒頭にあった。だから、自分の中にひっかかった本を引き合いに出してみる。

『あのころのパラオをさがして』(集英社、寺尾沙穂著)というパラオの日本統治時代を暮らした人々のルポルタージュがある。
そこには、パラオの人々にとっての日本に対する親日的と単純化できない愛憎がでてくる。
日本本土からパラオに来た人、沖縄から来た人、朝鮮半島出身者というパラオ内でのヒエラルキーがあったという話もあった。『マイノリティ』や境界線はパラオでも引かれ直されたのだ。日本から遠く離れた南洋の「楽園」でも。

他にも経済的な部分について興味深かったのが『パラオ人主体で仕事を作り出す仕組みがまず必要。パラオで稼いだお金をパラオに落とす仕組みがね。与えられるというのは搾取されることなの』(上掲書93頁)というセリフがでてきたところだ。これも沖縄にもきっと通じることなのだろうと思う。

読者

5cc4c863 6d4a 4e8c 8fd1 236841283cd69caf742c 2836 4270 9538 d4a9b6538b1629464afb 595b 402c a513 a16191529b21F4089288 4d4f 4f51 9b08 f6fd2d35966c5f7643ca afcd 4ec2 8f06 fa7ef7a84372997ef263 9049 4e36 b3f0 4b584fe58192Picture1ac099b6 c7ba 48ad 80ad bd934bb185f3 11人

岸政彦の本

街の人生

街の人生

63fe00dc 539b 41dd a878 bcbb65a18660

歌う

色々な本を読んで、世界を知りたい…

居てもいい、のではなく、居るのだ。

1年前

Icon user placeholder145a8870 9643 414c aa71 ed25b4e6ca77Bba98bee dc8a 4928 b105 a6ee52d0ce9b 20
ビニール傘

ビニール傘

1167ff52 1883 453a b364 cae2b2a4a5f8

persimmon1a

専ら室内生息し、ネットか惰眠を貪…

これは社会の片隅に生きる人の話なの?私には普通に思える。こんなもんじゃないの、人生って。

約2年前

0c0a9e37 6a00 44f9 af19 b6d64c2eedae36dfb5e0 462e 4a23 bbfd be7d893c8f60870e5356 1916 4821 b503 59c16c5338df 25
愛と欲望の雑談

愛と欲望の雑談

Picture

渡辺洋介

神田村経由専門書版元

「欲望自体が他者の欲望の内面化」「身体性にすごく弱いから体験主義に弱すぎる」「恋愛とか結婚とかしたくなければしなくてもいいけどはっきりしたくないわけでもないのが難しい」「独身でも福山さんは楽しそうに暮らしていることがみんなの希望だった」等々金言!

約2年前

Cbda7f18 b4b3 417b 9513 712e1d292184Icon user placeholder4d9421b7 30ff 445c afdf 7120ac33f6dc 23