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発行元から

探偵小説作家・江戸川乱歩登場。彼がその作品の大半を発表した1920年代は、東京の都市文化が成熟し、華開いた年代であった。大都市への予兆をはらんで刻々と変わる街の中で、人々はそれまで経験しなかった感覚を穫得していった。乱歩の視線を方法に、変貌してゆく東京を解読する。

目次

1章 感覚の分化と変質(探偵の目
目と舌と鼻、そして指)
2章 大衆社会の快楽と窮乏(高等遊民の恐怖
貧乏書生の快楽)
3章 性の解放、抑圧の性(姦通
スワッピング)
4章 追跡する私、逃走する私(追跡する写真
逃走の実験)
5章 路地から大道へ(もう一つの実験室
大道芸人たち)
6章 老人と少年-30年代から60年代へ(埋葬
少年誘拐)

文学

葵の残葉

葵の残葉

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オールドファッションドボーイ

ボロは、着てても心は、錦

明治維新は、岩倉と薩摩藩にまんまとやられた感がある。慶勝は、もっと評価されてもいいと思う。

1日前

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

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HSSISOLATED

人生で何度目かの読書熱

僕はまた裏切られたのだろうか。 といっても、僕はハルキストではない。これは前にも言ったと思う。それを聞いて君は残念に感じるかもしれないし、何も感じないかもしれない。でも今気にするべきはそれじゃないんだ。 さて。 第二部の前半は村上春樹の物語に浸っている実感があった。 喪失感を抱いた主人公、ミステリアスな登場人物、不思議な存在、幻想と現実の狭間、パスタ、ジャズ、CD嫌い。 これらは全てが村上春樹小説が村上春樹小説たらしめている記号でもあり、これらに存分浸ることができる。 しかし、中盤以降は現実原則に即した物語になってしまう。 そして最終的には何やらハッピーエンドっぽい感じになってしまう。 ハッピーエンドは暴力的であって、『騎士団長殺し』も忘却を含めた暴力的な帰結を見るように感じた。 この暴力的な帰結、ハッピーエンドは『1Q84』Book3と類似しているようでもある。 ここで、僕はまた裏切られたのではないか、と感じてしまう。 裏切られたと言ったけど、僕はハルキストではない。 僕がハルキストであることを否定すればするほど皆、君はハルキストだと言うんだ。どうしてなんだろう。よくわからないな。 バイ・ザ・ウェイ(by the way) 裏切られたと感じた反面、この『騎士団長殺し』はこれまでの村上春樹の主人公=「僕」のその後が描かれたのではないか、とも感じる。 謎の日本画家雨田具彦からは、これまでの村上春樹小説(『風の歌を聴け』から続く「僕」や『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の「私」といった「僕」たち)の影が見える。 世界を激変させうる出来事(本作ではナチス要人の暗殺)と個人の糧(本作では画家)がリンクし、喪失感と不思議な冒険と失望。 これが多くの村上春樹小説の「僕」たちだったし、雨田具彦からはこうした体験をした「僕」の影を感じる。 そして、これまで「僕」たちが解決できなかった諸々、羊男との対話や「記号士」との決着やらやみくろだのリトルピープルだのの処理だの残したことも多かったはずだ。 雨田具彦も同様、ウィーンの地で喪失感を感じ、イデアなる不思議な存在と接触し大冒険の末に帰国、イデアなのかやみくろなのかジョニーウォーカーさんなのかはわからないけど世界又は個人を破壊しうる存在を自宅裏の祠に封じ込めて残りの人生を歩んだのではないか。 思えば、第一部には雑木林の中でねじまき鳥を思わせる鳥が鳴く描写や、そもそも井戸と騎士団長の穴には親和性を感じるし、そもそも『どろぼうかささぎ』(ロッシーニ)と『ドン・ジョヴァンニ』(モーツァルト)はオペラという共通点もある。 こう考えると、そういった僕たちがやり残した諸々を偶然発見してしまった第二世代の僕が今回の主人公だったのではないか、などと感じるところもある。 何はともあれ、やっぱり村上春樹らしくないところもありつつこれまでの村上春樹らしさの影も感じられる物語だった。 でも僕はハルキストではないんだ。 やれやれ、いったいどうすれば僕がハルキストではないと信じてくれるんだろう。

3日前

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