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娘の緑子を連れて大阪から上京してきた姉でホステスの巻子。巻子は豊胸手術を受けることに取り憑かれている。緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連... 続き

コメント

なんでそうなったのか今でもわからないし、本人たちですら覚えてないのだけど、母は殺してやると叫びながら業務用のケチャップを父の禿げた頭頂部に、どゔぁどゔぁとかけ、父はそのケチャップを丁寧に手で拾い、母の顔に塗りつける。罵り合いながら、なぜか途中から笑い出して、風呂にでも入ろうかなぞという、その光景は当時の姉とぼくには理解不能だった。

その光景は、父のケチャップTシャツが大掃除のたびに細かい溝を拭く切れ端になって登場するたびに思い出すのだけど、そのケチャップ事件は、何も解決できない、問題なんてひとつも解決できない状況だから、生じたカタルシスなのだと、『乳と卵』を読んでいて、やっとわかったつもりになっている。

小説は言葉でできている。けども、言葉で考えられた小説か、そうではないかという点は大きく作風に影響する気がする。

ウィットなどの言葉遊びは言葉で考えるときに生じるもので、村上春樹や高橋源一郎の作品はそれによって、イマジネーションを得ている気がする。

一方で、小説がとてもキャメラ的、シーン的、ひょっとしたらアクション的なものもあって、むしろ手や足や口が言葉に先立ってある。

『乳と卵』は個人的にキャメラ的だと踏んでいる。振り上げた腐乱した卵を自分の頭に叩きつける、やさしさ。床の卵を自らお迎えにいって、頭を叩きつける、おかしさ。

優しくて、滑稽で、狂おしい、にんげんさま。川上未映子はシーンを思いついてから書く作家なのではないかと、勝手に親近感さえ覚えている。

その他のコメント

最初読んだとき、文体の美しさに衝撃を覚えた。ことばってこんなに自由で豊かなんだと。緑子にはとても共感します。

読み終わったあと、ぼーっとしてしまった。強烈だった。

読者

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川上未映子の本

夏物語

夏物語

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人生で何度目かの読書熱

女性性の物語。 どのように生きるかを真剣に、まっすぐ考えさせる。 貧困の世代間連鎖、孤独感、死と出産。 『乳と卵』に重厚さが増し、再び厭な予感、救いのない円環をぐるぐる回っているような感覚に陥る。 『乳と卵』で感じた女性特有の血の匂いは少しだけ鳴りを潜め、代わりに時間の経過や「老い」が重くのしかかる。 貧困地域に住んでいた親世代の人たちは体も衰え、もともとなかった余裕が損なわれてゆく。 そして、そんな親世代に囲まれ、孤独に生まれて生きてきた彼女たちは将来誰かを愛せるのだろうか、と重たい気分になる。 P.190『「たとえば、言葉って、通じますよね。でも、話しが通じることってじつはなかなかないんです。』 案の定、主人公夏子は「本当に」誰かを愛するという事が難しくなっている。それは、性的なものと愛するということがどう頑張っても結びつかず、アセクシュアル的な傾向をもつ。 P.224『でも、じゃあ、相手のことを本当にわかるって、いったいどういうことなのだ?』 そこで、恋愛を諦め、結婚を諦め、出産を諦める。 しかし、年齢が上がり、ある程度仕事の見通しが立って生活に少しだけ余裕がうまれると自らの孤独に打ちひしがれる。 P.286『わたしから街や人は見えるけども、どこからもわたしは見えないような気がした』 夏子は孤独を感じると、旧い思い出に浸る。どれも暖かくて楽しい良い思い出だが、その全てが、完膚なきまで完璧にみすぼらしく惨めである。 それでも、どんなに惨めでみすぼらしくともこの女性にとっては孤独を癒す大切な思い出なのである。 夏子と対照的に、日本的血縁主義的家族神話に生きた女性が用いられる。 p.347『自分の人生を犠牲にして家を守ってきたという自負と恨みがあるんだと』 男性と男性的社会への痛烈な批判。「なんで女だけが痛いんだ」という叫びは、結婚・出産を経た女性にも等しく孤独を感じさせていることの現れだ。 ここで『乳と卵』を読んだ時のような感覚を思い出し、恐ろしいような、申し訳ないような、おっしゃる通りでおます、とまたぷるぷる震えてしまう。 出産、子育て、女性。 子供を産めるのは女性だけの特権であり、呪い。その特別な権利と痛みは男性には絶対理解できないだろう。 さらに追い討ちをかけるように見せかけの尊敬・理解を示す男性に対して「-知らねえよ」(p.388)と一蹴される。 そうですよね、理解して欲しくもないだろうし、理解してますオーラを出されるの嫌悪、また嫌悪ですよね、これは本当に申し訳なく頭が下がる一方で、下がり続ける頭の先をぷるぷるさせて井戸でも掘って冷たい水を飲んで頂ければご機嫌少しは戻られるでしょうか、いやそんな水くらいでご機嫌とろうという浅はかさこそ愚かなオトコという生き物でして頭で井戸なんてほれませんし、僕ったら本当に申し訳ござりません、とぷるぷるが止まらない。 物語が終盤に差し掛かると、より孤独感を感じるようになる。 誰もがどうやら等しく有しているとされる子供を持つという能力。「自分の子供」という存在に会いたい。この痛切な願いを責めることは誰にもできない。 しかし、そこで反出生主義の女性と出会う事になる。 生まれてきたばっかりに、生まれてこなければよかった、どうしてわたしを生んだのか。 こうした怒りや哀しさは、この本の登場人物たちにとっては当然の感情でもある。むしろ、主人公夏子、巻子、そして緑子も反出生主義に与しても不思議ではない。 それでも、夏子には巻子がいて、緑子がいた。そして思い出の中には母がいて、コミばぁがいて、九ちゃんもいた。完璧にみすぼらしく惨めだが暖かい思い出があった。 夏子にとって、思い出の中の人たちにもう一度会いたいという願いこそ、自分の子供に会いたいという願いの起源だったのではないか。それが、この物語の最後のページの言葉に現れたのではないか。 最後のページでまた再び、ぷるぷる震える。

3か月前

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