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コメント

別の本で言及されていて興味を持ったので手に取ってみました。日本史では必ず出てくる刀狩りがいったいどこまでの武装解除だったのか、という本。我々が習った歴史だと「ほぼ国内の敵を倒し尽くした秀吉が治安維持のため身分固定を図り、その一環として農民の武装解除を行った」というものだったのだが、自分はこれにかなり疑問を持っていた。やはりというか…秀吉の刀狩りはイコール農村の武装解除ではなくあくまで帯刀制限、くらいのもので実際は江戸時代の農村には大量の武器があり下手をすると領主以上の鉄砲も保持していたのだという。
江戸時代に至るまで帯刀または刀を保持するというのは農民にとってもアイデンティティの問題であり、鉄砲は害獣の対処にも必要だったのだ。日本の農村の武装解除は実際にはGHQによって成し遂げられたものであるが、それだけの武器を保持しながら基本的に紛争は裁判を優先していた、という我らの祖先については認識を改めなければいけないと思う。どうも日本の歴史教育はマルクス主義に影響されているというか...武装解除され搾取されるだけの大多数の農民と一部の特権階級というふうな教え方をしているが、そもそもそういう社会が何百年も維持されるわけはないというのが自分の考え。いや、面白かった。

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新書

聖地巡礼 - 世界遺産からアニメの舞台まで

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lAube

本と映画と旅が好き。

「聖なる巡礼者/俗なる巡礼者」という二分法を丁寧に解体し、「宗教が自明のものでなくなった現代世界において、聖なる場所や聖なるものがどのようにして社会の中に姿をあらわすのか」(p.v)考察した1冊。 聖地は以下の4つの類型に分けられる。(a)制度的聖地、(b)共同体的聖地、(c)イベント的聖地、(d)個人的聖地である。 著者は、多様な価値観や世界観がフラットに存在する現代社会を背景に、個人と個人が何かを共有できる可能性をもつものとして、聖地に可能性をみる。 宗教と社会が新しい関係を結ぶ中で、記憶ー場所ー共同体といった概念が今後どうなっていくのか(べきなのか)、考えさせられます。

4日前

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