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雪に閉ざされた山村での暮らし。そこで出会う幽明の世界。圧倒的力量で話題をさらった芥川賞受賞作「月山」の他「天沼」「初真桑」「鴎」「光陰」「かての花」「天上... 続き

コメント

修験道の聖地、出羽三山の月山を舞台にした(おそらくは著者の)体験談。山がまだ異界とされてた頃の、あやふやな現実と非現実。

平らな所に生まれ育った身としては、こんな混沌にたまらなく惹きつけられるんです。

その他のコメント

生死一如のメビウスの輪の中で、平野→村→寺→蚊帳→どんぶりというように、月山のどこまでも連なる世界が描かれている。読み方によっては宇宙の広大さを感じる人もいるのかもしれない。そんな影が見え隠れするが、はぐらかされる。
哲学臭さはなく、むしろ、移ろう自然や東北弁、集落の生活ぶりに目を惹かれる。

読者

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森敦の本

月山

月山

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Kenny

読むこと、書くことが好きな人

高校3年生の夏、受験勉強に疲れた身体を午睡に誘う、そんな時間に、よく友人とキャッチボールをした。校庭の砂は乾いていたけれど、少し掘り返してみると冷たさがわかるくらい水気を含んでいる。彼の細い腕から放たれるボールはやらかい放物線を描いて、しらっぱしい空を超えて確かにこちら側へやってくる。 彼によく、月山にいこうと誘われた。ばあちゃんが住んでるんだ、と。おお、行こうか。受験が終わったらなんでもできるもんだと思っていた。月山にもどこにでもいけるだろう、別に月山でなくても、どこへでも。 そのときの生返事を今は何か、後悔している。それは森敦『月山』を読んでから尚更思うようになった。あの円やかな、全体であり一部であり、生であり死である山ーー。陰陽魚のような「それ」になぜか惹きつけられる。 午睡のなかにいたからなのか、今ではその当時の彼の白球の放物線が、どこか牛が臥したような稜線になって、思いの外、暑さではなく、その砂の下にある冷たさを思い出させてくる、いいや、ひょっとしたら記憶を改竄してすらいるかもしれない。彼そのものが月山になっている。 この小説を貫くのは、どこか、白昼夢をみているかのような雰囲気だ。死にそうになって拾われ、酒を飲んで酔っ払い、和紙で作った蚊帳のなかにいる。何かに包まれているような、それはその土地の土着的な何か、みてないのにみられているというような、暖かさであり末恐ろしさであり、そしてその先には月山がいる。この夢と現のあいだにいるような雰囲気を、僕はすごく好ましいと思っていて、小島信夫、山下澄人、柴崎友香あたりに何となく惹かれるのも、それが理由だろう。 『月山』に学ぶことも多かった。まず、告白体になっている点。告白体になったほうが、一種のカーニバル、「躁宴」ともいえるシチュエーション、老人たちの卑猥さを暴露するという形になるいいのかもしれない。おそらく私とのあいだに距離ができるからだろう。 次に、死についてさらっという点。源助のじぃさんが死んだのか死んでないのか、サスペンスがありそうで、ないというような、展開。自分が山中で行き倒れになることについても別に詳しい述懐もない。特別なこととしてあまり扱わないというのはどこか浮世離れしている。 この小説を読めば読むほど、自分の向かう方向性は、こちらなのだと、小島信夫的でありながら、小島ほどコミカルに向かわない。どこかリップヴァンウィンクル的であり、そちら側に落ちないというような、夢と現のはざわのような小説を書きたいのだろう。

3か月前

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