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「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」-一流の文章家であり箴言警句の大家... 続き

コメント

読書は自身の思索を制限する。
外界から情報を得ずに思索せよ。

思考することをやめてはいけない

読書は他人の思考のトレースに過ぎないとのたまうショウペン君は膨大な数の読書をしたはずだという確信があるから今日もまたページをめくるのさ(*_*)

ドイツ語の本を和訳して書いた本なので、全体的に理解することが難しい表現が多かった。さらにショウペンハウエル自体、ドイツ人の作家に対して言いたいことを書いてることが多いように感じた。しかし、所々自分のためになるような箇所があった。まず、読書は思考を他人に委ねるということ。これは色々な本を読んでいると感じることである。読書をしている際に自分で思考することを放棄し、なるほどなで満足してしまうことが多い。次に、反復は研究の母なり。本というものは一度だけ読むのではなく何度も読むことによってより理解することが出来るというもの。

耳が痛くなるような事も多く書かれていましたが、それこそ「読書」の思うツボだと思うので、話半分で読みました。

自分で考え抜いた知識でなければ価値はない。
読書と学習は誰でも思うままに取りかかれるが、思索はそうはいかない。
他人から学んだだけにすぎない真理は義足のようなものだ。
読書で知恵を汲み取った人は、旅行案内書を読みその土地に精通した人のやうなものである。
他人の文体を模倣するのは仮面をつけるに等しい。
頭から紙に向かうのは容易であるが、逆に紙から頭へ向かうのは大変なことである。
なげやり調にものを書くのは、自分の思想にあまり価値をおいてないことを初めから告白するようなものである。
読書は他人にものを考えてもらうことである。
良書を読むための条件は悪書を読まぬことである。
そして肉体は肉体にあうものを同化する。

など、色々考えさせられる言葉が多く書かれていました。

P129 すなわち、紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。

何度も勇気付けられた。ショウペンハウエルは「読書など日常茶飯事」だが「主観的関心の炎が燃え上がること」を主に据えている。「世界という書物を自ら読破せよ」。

私たちが私たちであるために欠かせない営みである、読書について。

他人にものを考えてもらったほうがいい人もいるんじゃない

読書に対する警鐘。

良書を読むためには、悪書を読まぬこと。悪書かどうか知るには読まなければならない。

読書家がこの本読まずしてどうする

読書について、考えさせられます。
読書をすると自分で考える力を失う。。
みなさんはどう思いますか?

読者

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