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まちにフィットする本棚を作る 西荻窪「古書 音羽館」

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夜に浮かぶ寄り道スポット

音羽館は夜の店のイメージがあります。西荻窪(住人は略して西荻と呼びます)駅北口のバス通りを東京女子大学の方面に歩くこと数分、四つ角を左の路地に曲がると、「古本」と書かれた電飾看板が夜に浮かんでいます。営業は12時から23時まで。閉店間際の深夜でもサラリーマンや学生風情の客を1人か2人、多い日は数人は見かける今どき珍しい店です。仕事帰りまっすぐ家に帰るのはイヤだけれど1人で飲む習慣もない著者のような西荻住民にとっては、夜中に気軽に寄り道できるありがたい存在です。

店主の広瀬洋一さんは「開業した2000年頃、西荻には古書店がたくさんあって、その多くが深夜まで営業していました。次第に閉店する店が増え、今はうちが目立っているだけです」と言います。

店内は空気が変わります。左右に一つずつある扉を開けて中に入ると(多くが左から入るそうです)、人の声や車のエンジン音など都会の音が止み、クラシックやジャズ、ボサノヴァ音楽が流れています。この夜はオランダのチェロ奏者、ピーター・ウィスペルウェイが奏でるバッハ。板張りの床は歩くたびにギシギシと音を立てます。むき出しのコンクリート天井、壁に貼られた外国製のイラストポスターがしゃれています。

「独立して自分の店をもつ時、これからの古本屋は、ウナギの寝床のような旧式の形ではなく、外から店内が見えて、女性も入りやすい風通しのよい内装でやろうと思いました。今でこそ、そうした店も増えていますが、開業した16年前はまだ『それでは最近増えている某新古書店と同じではないか』と揶揄する人もいたんです」と広瀬さんは振り返ります。

古書店業界にもブームや流れがある

広瀬さんによれば、音羽館のような「古書店のニューウェーブ」ーー内装や音楽など店の見せ方にもこだわり、本にまつわるイベントを開く店ーーは2000年前後から現れ、今業界を引っ張っているのはこうした店が多いそうです。さらに2000年代後半からは一箱古本市から発展したセレクト色の強い「一箱系」が登場してきました。たしかに西荻も古いタイプの古書店が減る一方、狭いスペースに限られた本を置く趣味性の強い店が増えました。

「そういう意味でうちは昔ながらのスタイルを引きずっている部分があるのかもしれません。価格訴求型で、なるべく満遍なく置いていますから」と広瀬さんが言う通り、音羽館の品ぞろえは小説やエッセイ、詩集、哲学書、歴史書など人文書を中心に、料理や暮らし関連の実用本、漫画、サブカルチャー系、建築系、経済系の本が混ざり、一方で写真集や映画・音楽関係、アート系の本も多いです。吉祥寺のひとり出版社「夏葉社」など小出版社の新刊本や、フリーペーパーを置くスペースもあります。

「ただ、私が独立前に勤めていた町田の大型店と、西荻の音羽館では置く本の傾向は、はっきり違います。郊外はやはり通勤途中で気軽に読めるような一般的な本、売れ筋の本が中心。でも西荻では、そうした本はむしろあまり売れないんです」と広瀬さんは言います。

中央線のこの界隈は阿佐ヶ谷文士村、荻窪風土記(井伏鱒二)の時代から、出版、映像、音楽、演劇関係の仕事をしているクリエイターが多く住み、買取でもその関連本が比較的入ってきやすく、そうした人種が関心をもってくれるような本を並べることで「ここには良い本がある、売るならここという評価につながる」そうです。

例えばある時、本を売りにきた年配のお客さんがやけに映画に詳しいので「書いている方ですか?」と聞いたら、「撮るほうだよ」と返されて驚いたというエピソードも聞きました。名前を尋ねると「トラック野郎」シリーズの監督、故・鈴木則文さんでした。

「西荻という町にうまくフィットする本棚を作るのが大切」「この町の買い手と売り手のサイクルをいかに成立させるかが大事」と広瀬さんは言います。

著者の経験では、音羽館の魅力は、本と出会える感覚でした。個人的な指向もあって心惹かれる海外翻訳の小説・エッセイに出会う確率が特に高いです。今年この店で買って積ん読したのは、例えばナチス強制収容所での体験を記した名著「夜と霧」(新訳)、ペルーの作家バルガス=リョサ「緑の家」、新潮クレスト・ブックスのミランダ・ジェイ「あなたを選んでくれるもの」など。値段も手頃です。

仕事帰りに立ち寄り、日課として広くはない店内を一巡りします。何か買う日もあれば何も買わない日もあります。本棚は日々、少しずつ変化していきます。それを作る人との相性、あるいは気配や度量のようなものが並ぶ背表紙に滲みます。心落ち着く音楽を聴きながら好みの本を探す、それだけの行為に癒しを覚えるのは、本好きならわかる感覚ではないでしょうか。中央線沿いに暮らす人たちから手に入れた古い本が一時ここに留まり、しかるべき時期に別の人の手に渡っていく、その交差点のような場所として、おかしな言い方ですが、とても古本屋らしいと感じます。

「本を愛する人に本を返していく」という広瀬さんの言葉が印象的です。

「昔日の客」をめぐって

ーーそれは私の人生に無用なものかも知れない。が無用の物の中にこそ、言い知れぬ味わいがひそんでいるものだと思う。(「昔日の客」スワンの娘)

手元に「昔日の客」という題名の本があります。布張りの装丁、裏表紙にはめ込まれた版画は、今日見ない温もりとこだわりを感じさせる作りです。

この本は東京・大森にあった古書店「山王書房」の店主、故・関口良雄さんが1978年、還暦記念に自費出版した随筆集(三茶書房刊)です。書名通り昔日に交わり心に残っている客たちの面影を、あるいは尾崎一雄、上林暁、正宗白鳥、三島由紀夫ら作家たちとの交流を描く端正な文章は、ただそれだけに終わらずに絶妙なペーソスを含み、何より本や古書に対する熱意が凝縮しており、こうした好著が人知れずにあったことに不思議な感動を覚えます。

増刷されることもなく絶版になった後、古書はマニアの間で「幻の本」として高値で取引されていたそうです。この本が約40年ぶりの復刊を果たしたのは、「西荻ブックマーク」というイベントで復刊応援企画が開催された翌年のことでした。

「西荻ブックマーク」は音羽館の広瀬さんのほか、西荻窪のライター、書店員、編集者ら有志が集まり、ほぼ月1回の割合で開催しているトークイベント・ワークショップです。2006年5月の1回から2016年11月開催の「毛利眞人 新刊・刊行記念トークイベント」まで95回を数え、来年100回を超える見込みです。過去には歌人の穂村弘さん、作家の角田光代さん、フリーライターの岡崎武志さん、評論家の呉知英さん、編集者の都築響一さんらが出演しました。

「小さな商店や顔が見える人間関係がある西荻だからこそできるイベントです。本にまつわる楽しそうなことをしたいというメンバーが集まり、とにかく自分たちでやりたいことをやろう、呼びたい人を呼んで話してもらおうというのが出発点でした」と広瀬さんは言います。

2009年6月、33回目のテーマは「『昔日の客』を読む 〜大森・山王書房ものがり〜」でした。「昔日の客」の魅力を語り共有することで、「復刊したい」という機運が高まるのではないかという裏テーマがあったそうです。後日、その実現に名乗りを挙げたのが「昔日の客」を現役で知る世代からするとずっと若い、吉祥寺のひとり出版社「夏葉社」の島田潤一郎さんでした。島田さん自身も「西荻ブックマーク」に別テーマで何度か出演されています。こうしてさまざまな縁が結ばれて2010年、夏葉社の2冊目の刊行物として「昔日の客」の復刻本が出ました。今、著者の手元にあるのは音羽館で購入した2015年発行の第八刷です。

「その端緒として、西荻ブックマークがある、というのはちょっと手前味噌かもしれませんが、ほんとうにあれはやって良かったなと思います」と広瀬さんは言います。復刊の経緯については広瀬さんご自身のエッセイ「西荻窪の古本屋さん 音羽館の日々と仕事」(本の雑誌社)に詳しく書いてありますので、興味がある方はご覧ください。

「西荻ブックマーク」が今後どのくらい続いていくのかわかりませんが、この息の長いイベントが西荻窪という小さな町をより刺激的で面白い場所にしていることは間違いなさそうです。

古書 音羽館

杉並区西荻北3-13-7

12:00 - 23:00・火曜休

西荻ブックマーク nishiogi-bookmark.org