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Kenny 書くこと、読むこと、走ること |
どうして君はぼくで、ぼくは君ではないのか、と思うけれど、よくよく考えれば、君はぼくで、ぼくは君だ。それはなんというか単純なアナロジーの話ではなくて、むしろもっと根っこの語りの部分の話のような気がする。
山下澄人『ルンタ』。『緑のさる』以上に、ドラッギー。それはあらゆる小説のコードから逸脱している。語る存在が、語られる存在になり、その逆も然りだ。それはちょっと不思議な現象をもたらして、それが繰り返されていくと、一種のみえない共同体のような、シンパシーで繋がったものを生み出す。それは決してリアルな人間には分かり得ない。ひとつ次元が上の、けれども神の視点までは行かない、「間(あわい)」の存在による語りだ。
保坂和志が言うように、わからなくていい小説だ。わかろうなんてしないほうがいい。むしろ、一緒に狂い倒した先に初めて、何かソリッドなものに触れる程度でいいのかもしれない。