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毎年3/11にはこの本を読み返すと決めている。

パパが死んじゃったら僕は生きているから困る。子供の愛も伝わって、家族について考えました。

耳をすませて
亡き声を想う。
想ー像ーラジオー

自分の置かれた状況が曖昧のまま想像ラジオを発信し続けるDJアーク。徐々に想像ラジオの役割を理解していく。

生者と死者は持ちつ持たれつの関係で、死者は生者がいるから存在できてその逆もまた然り。もし人類が滅びてしまったら死者は存在していくことができない。
これからもきっと、「想像」することをやめてはいけない気がする。

かつて在った人々の様々、その現在を僕は僕の都合で作り出す。想像は想像である。それに浸る時間は、僕の現在たりえても、彼らの現在では決してない。
軽妙な語り口と文体で描かれる物語は生者と死者における厳然たる事実を僕に示す。

ただ、

それでも、なお

そのような、つぶやきにも似た声。それもまた聞き取れるような。
この小説に対し僕はまだ判然とした応えが出せないでいる。

東日本大震災後の海沿いの町から、想像力を電波にした不思議なラジオが聴こえてくる。DJアークは大切な人にメッセージを届けようと想像ラジオを発信する。
作中の「亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に進んでいくんじゃないか」という言葉が印象に残った。
震災で亡くなった人々はどういう思いでこの世を去って行ったのか、考えさせられる一冊だった。

あの日を体験したのに、記憶が薄れてしまっている自分に気づく。忘れたくないし消えないようついでいきたい

(個人的な震災時の体験と思ったことを読書メモとして残します。ご了承ください)

あの日のことを思い出す。

あの日は金曜日だった。

都心は電車が止まり、帰ろうにも帰れない。じゃあちょっと飲んで帰ろうか。そんな人も多かったと思う。

まだiPhone3GSと4の時代だった。
たった7年、8年前だったけど、情報が伝わるのは今と比べると信じられないほど遅かった。

東京では非日常の金曜日を楽しんでいた。

しかし、だんだんと津波の被害が伝わってきた。

iPhoneを持っていた人、PCのブラウザからニュースを見た人、充電を気にしながらワンセグを見た人。

そういう人たちからとんでもない事が起きているようだと伝えられた。

「電車のこと?」「ちがうよ、宮城県だって」「なにが?」「地震」「え、東京じゃないんだ」「宮城は津波がひどいって」「津波?30センチでも危ないらしいよね」まだ覚えている。こんな会話がなされていたことを。

その後は生きた心地がしなかった。

海岸に信じられない数の遺体が打ち上げられている。第一原発は全ての電源を喪失した、水素爆発した、避難所で物資が足りない、燃料は流されてきた車からとるしかない、都心もガソリンがない、水は汚染されたんじゃないか水を買い占めよう、もう東日本に人は住めないかもしれない、各国大使館員の退避と自国民退避命令、輪番停電、間引き運転、鳴り止まない緊急地震速報。

あの時以降、日常は損なわれた。

あの日をどう伝えるか。何をどう伝えると、後にどう伝わるのか。

東京大空襲、原爆投下、敗戦と同様に。

『相手の気持ちを理解しきれないと思う罪の意識があるからこそ、その言葉に耳をふさいでしまう』(p.126)

自分でなくてよかったという安堵と生き残った罪悪感。

我々はこの思いをどう伝えるか。

『無言で敬う』(p.130)事ができればいいだろう。しかし、それほど現代の我々は気丈でいられるだろうか。忘却こそ罪であるのに。

そこで、想像ラジオが聴こえる人と聴こえない人の章が活きてくる。

はじめは聴こえる人の特殊性が強調される。

そんなことありえないだろう。軽々しいシャーマニズムは冒涜でしかない。それもその通りだと思う。

どうしても思い出す。

流される直前までマイクに向かって避難を呼びかけ命を落とした人、屋根から手を差し伸べた人、階段の真ん中だけは空けて黙って座った人、停電に耐えた市井の人たち。そして絶望的な中で生存者を探し、遺体を探し、アルバムやランドセルを生まれたての赤ちゃんを扱うように丁寧に保存し、同時に原発を鎮めようと決戦に挑んだ自衛隊員、消防士、警察官と作業員、ボランティアたち。
こうした日本人の高貴さを。

想定外という言葉で罪を免れようとする者、他県ナンバーの車で乗り付けて被災住宅を窃盗する者、被災ゴミの受け入れを拒絶する者、震災にまつわる詐欺をはたらく者、疎開してきた子供たちを教師さえも一緒になってセシウムさんとあだ名していじめ抜いていく者たち。
こうした日本人の野蛮さを。

高貴さと野蛮さ。
どちらも等しく日本人の姿だった。

このことを忘れない。

こんなことを思い出しながら読み進めると、想像ラジオは普遍的な人間らしさを刺激してくる。

『え、これ、誰かのエピソードじゃないよね?はっきり僕の思い出だって感じてしゃべってたんだけど。』p.186

ここに至って、日常を失った人たちを思う。突然、予兆なく、完璧に日常を喪ったあまりにも多くの人たち。

いや、あの日以来、我々からは等しく「日常」なるものは永遠に損なわれたんじゃないか。

今でもあれ以前の日常は損なわれたまま、戻ってくることはない。

おそらく、これがこの物語で体験する生と死の狭間なのだろう。

忘れない
想像するんだ

チューニングを合わせて、聞いて声

私にはちょっと合わなかったかなぁ〜

いろんな受け止め方があったろうけども、
ただ闇雲に今の現実を受け止めてがむしゃらになんとかするだけが受け止め方じゃないなと。

こうして見つめなおすってことも多分できたんだなと。

3.11をそう見直せた。

東北大震災。
自分の中では遠くの国で起きたことではないか?と今でも思うことがあります。
亡くなったかたの声に耳を傾ける。容易なことではないと思います

クリームソーダ色の海を見るたび、きっと思い出すよ。

読み進めるごとに鳥肌

震災で亡くなった人々のラジオ。
なんか救われない思いかな‥

読者

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Taraco-Sell-たらこせる

nigata-saitama,m…

文字おこしても変わらないしゃべり手っている。そこがすごいな。

約1年前

「国境なき医師団」を見に行く

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ノノハル

my本棚の前で立ち読みしてしまい…

国境なき医師団「MSF」というらしい。 何も知らない私も、いとうせいこうさんと「見に行った」。というスタンスのおかげで(この日本にいる人間にとって、想像を超えた理不尽な不幸を)現実的に受け止めることができました。 ここに私的な感想を長文にするより、この本を手にとって知って欲しい。 「MSF」は絆創膏を貼りに行く。とても、印象深い言葉でした。 決して悲惨で苦しくて悲しい事を散らばしたような内容ではありません。深く静かに「見に行った」そんな感じです。 是非一緒に「見に行って」ください。

1年前

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