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hikumahika |
あれこれ昔のことを思い出しながら延々と語っている人の話をひたすら聞いてあげているような小説。このタッチは嫌いじゃない。
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hikumahika |
あれこれ昔のことを思い出しながら延々と語っている人の話をひたすら聞いてあげているような小説。このタッチは嫌いじゃない。
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y_noz 本 |
最終頁で文学然とした作品に塗り替える力技。語りの距離、焦点化はお見事だが、意図せずやってるようにも感じる、それならなおさら凄いが。
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Eiji Kobayashi こヴィ。編集者・ライター |
著者が19歳の時、富良野塾二期生として暮らした2年間の体験をもとに書いた作品。小説を読むというより、自ら体験するようなドラッギーな傑作。ちなみに表紙カバー題字は倉本聰先生直々の筆です。
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末次 小平市の学生 |
受賞記念。
北海道を舞台にすると不思議とこういうかんじになるのはなぜ。
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あなご 教育と心理の仕事。1987生 |
文体が不思議だけど、それも俳優だからと考えれば納得もする。内面の流れを丁寧にリアルに辿っている。すらすらといかない思考の不器用さこそ自然だと思える。演劇の集団てどこも似たような特徴をやっぱり持っているんだなあと思い、なつかしさも抱いた。
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ナツメ 読書三昧はサイコー |
芥川賞を久しぶりによんだ
北海道にすこし、すんでいたのと芥川賞ってことで
かりました
本のなかの北海道へすぐにワープしてしまいました
たいしたことを書いてないようにみえるんだけど
、、。
そういうところがすごいんですかね。普通のことを
違和感なく表現できるというか。
題名の通りあたらしい文体にふれたようにおもいます。
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まさし 本はまあまあ好きです。 |
芥川賞を受賞した作品らしいので読んでみたミーハーな私です。
今までたいして本をたくさん読んできたわけではないのだけれど、今まで読んだことのない本だなぁ、という印象だった。すごく独特な文章だった。でもそれによってこの主人公の不器用な感じの性格だとか、雰囲気だとか、匂い的な、ものすごく細かいところまで伝わってきた。客観的にみているというか、主人公の中にはいりこんでみてる感じ。
読んでて複雑な感情になった。でも、なんかわかる気がする。
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Kenny 書くこと、読むこと、走ること |
生まれた家の、生まれた庭のいっちばんおおきな樹の下に、真っ赤なオウムのなきがらを埋めたことはないのに、埋めたときの左指が土に触れた記憶がある。母は君があたしの腹のなかで逆さになっていたときだよというけど、ぼくはそれをみて、この頭にとどめている。そこにあるのは懐かしさではなくて、それとしか言いようのない、残像だ。
山下澄人『しんせかい』はまさに残像の小説だと思う。「ぼく」はみている、聴いている、触れている。美化された記憶を語っているのではない。かといって客観的な記録でもない。そもそも、みている「ぼく」が不確かな語りをなし、ぼんやりとしたリアルの複数性を示唆する。
この小説は「あ行」でも「さ行」でもなく「は行」でできていると思う。句読点の使い方もうまい。冒頭の乱れ、交わる記憶も。そして、視点がとんでとんで、いつのまにか遠いところにいっているのも。ああ、うらやましい。
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26人 |
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ルンタ
どうして君はぼくで、ぼくは君ではないのか、と思うけれど、よくよく考えれば、君はぼくで、ぼくは君だ。それはなんというか単純なアナロジーの話ではなくて、むしろもっと根っこの語りの部分の話のような気がする。 山下澄人『ルンタ』。『緑のさる』以上に、ドラッギー。それはあらゆる小説のコードから逸脱している。語る存在が、語られる存在になり、その逆も然りだ。それはちょっと不思議な現象をもたらして、それが繰り返されていくと、一種のみえない共同体のような、シンパシーで繋がったものを生み出す。それは決してリアルな人間には分かり得ない。ひとつ次元が上の、けれども神の視点までは行かない、「間(あわい)」の存在による語りだ。 保坂和志が言うように、わからなくていい小説だ。わかろうなんてしないほうがいい。むしろ、一緒に狂い倒した先に初めて、何かソリッドなものに触れる程度でいいのかもしれない。
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緑のさる
その女の子とは、今もよく会うんだけど、大学の1年生の夏にフラれたこともあって、でもそのフラれる前の前の日くらいに、大学の寮の裏手にある駐車場のところで、せなかをがっちゃんこして歩いたのは、夢かもうそうかリアルかわからない。ぼくはその娘と付き合いたかったからぼくはぼくを彼女の目で何回もみたから、ぼくはその女の子でもある。 視点が移るということは、その娘の目にも、その娘をみている星の目にも、その星をみている世界の目にもなれるということで、その目は過去にもむかえば、未来にもむかう。ぼくは、わたしは、彼も彼女も生きていて、死んでいて、世界の目としてみると、この、ここに、存在してくれてありがとうってなるのは、すげぇ。 山下澄人『緑のさる』は、すごくなんというか、つながっているっていうこと、それはモラルとか共同体とかかんけいなく、つながれ!ではなくて、正味、つながっているんだよ、と教えてくれて、ぼくはとなりでいつもラップトップをがちゃがちゃ叫ばせる嫌われものにもやさしくなれた。そして、好きな女の子に対しても、なおさらで、次に会ったときに、会った瞬間、泣いてしまったらどうしよう。そんなことを考えている。
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砂漠ダンス
装画に惹かれます。中身も少し立ち読みしましたが、まだ買ってません。
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コルバトントリ
行ったり来たり。時限を超えて気持ちと魂と体が行き交う。難しくて読み返したいのに、先へ先へと引きこまれる。
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