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ツイッターで気に入らない発言を罵倒し、ニコ生でつまんないネタにコメントし、嫌いな芸能人のブログを炎上させる。ネットで、会話で、飲み会で、目立つ言動にはツッ... 続き

コメント

「ツッコミ」があまりに勢力を拡大してしまったこの時代。
なんだか息苦しく、職場でも学校でもちょっとでも目立つようなことをするとネットで噂をされ、思い通りに動けない。ちょっとした失言や失敗も許されない。いい意味での緩さがどんどん薄れていって締め付けられるようなきがします。

夢中になっている人は素敵なのに、
ただ「夢中」をそのまま外に出してしまうと、すごく傷つきやすいというか、他人に足を引っ張られたり、馬鹿にされることがあります。何かに夢中になっている人は、関心のない他者から見ると滑稽に見えるからなのですが、だけど最終的にはみんな「夢中になれるものを探したい」などという。

このツッコミのインフレ状態に必要なのは、ボケしかありません。

その一つの例として、「自分マニアになること」が挙げられます。
ルックスや身体能力などにコンプレックスを持っていても、本当は自分が好きなんです。他人や何か別なものを好きになりながら、そこに自分を投影している人は多いと思います。
自分の好きなものとか集めたりしてるけど、要するに自分のコレクション自体を記録しています。
自分が夢中になれるものは自分です。

人間は思い通りにならないものを思い通りにしてきた歴史があります。震災など自然の猛威は大ボケとなります。
理不尽な人と触れ合うことは自然と触れ合うようなものです。思い通りになりすぎるとちょっとしたことでイライラする
しかし理不尽なものに接する機会が減ってくると、今度は逆にイライラすることが増えていきます。
自分探しを自分の中で続けるのではなく、今の自分を世の中にぶつけてみる、そこで叩かれたり、削られたりしながら自分を形成していく。
そのままの自分を出すことは「ボケ」です。そして周りの「ツッコミ」を受けながら、自分という作品を形作っていく。人はそうやって成長していくのです。

ニコ生に来た人はニコ生人格になるように、覆面レスラーの気持ち良さがあります。SNSもそうですが、一方で真に解放されない息苦しい生き方でもあります。
しかし物事に対して、ありなしで評価するのではなく、好き嫌いという感情を表現してみるのがいいのではないかと書かれていました。これは隙だらけの表現です。揚げ足が取られやすい言葉です。しかし表明することは自分を晒すことになるからとても強いのではないでしょうか。

SNSをやっている人にも特に読んでほしい一冊です。

現代社会の風潮や空気感のうち何が人を消耗させているのか、しばらく自分の中で疑問だったのだけど、この本で説明される視点で見たときに、すとんと納得いったところがあった。

ツッコミの多い社会、ツッコミとして生きること、確かに消耗する。自分が熱中できる生き方に飛び込むことをせずに、他者にツッコミを入れること、他者から入るツッコミを気にして生きること、どれも違う。
「ツッコミ」過多な現代社会の中にいても、自分の生きる軸は「ボケ」の方に置き続け、メタ的な立場から投げ掛けられるコメントよりも自らが熱中できるものを選ぶことを、メタ的な立場から物事眺めてツッコミを入れるよりもベタであろうと自ら飛び込んで自分自身が経験することを、あくまで重視し続けたい。

読者

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3日前

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コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる

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鈴木スルメ

立命館大学

昔は、町や村の人脈でお金をかけずに仕事を協力していた。今で言うできる友達に頼んでみるみたいな。それが昔は普通で、お金なんて要らなかった。今ではそれが他人がお金を取るようなサービスに変わった。そこにつながりなどは無い。工業化が進み、町から人は都市部に行くようになる。そこで従来の町の共同体は崩れ、国が治める事になる。そこで市民はお客さん化した。昔は繋がりが強すぎた。今は弱すぎる。そのバランス。屋外空間を使いこなせていない。地縁型コミュニティとテーマ型コミュニティ。自由に使える空間を探す。クリエイティブファーム。オープンスペースの価値を高める事によってエリア全体の価値を高めるという発送。つまり、不動産の空き家を借りる代わりにその土地の価値をあげますというプレゼン。有機農法で作物を育てたとして、食べていけるのは3500万人? つまり今は人口が多すぎて、輸入に頼るしかない。田舎でお店をやったらすぐひろまる。長い目でみると、今は単に子供が減ったのではない。1度ベビーブームがあってからの減少。昔は道路も地域で協力し作っていた。今は専門家が専売的な特許のようにして仕事し価値を作りあげた。家を建てるのもそうだ、どこまで自分で作ってどこまではプロに任せるか。シェアというと、貸し借り、貧乏臭い、煩わしいとイメージで捉える世代と楽しい、繋がりがある、スマートというイメージで捉える世代がある。それはコミュニティという言葉でも同じ。何が人々にとっての豊かさ? 生きがい?ナガオカケンメイ、太刀川英輔、柳原昭弘。金やものが豊かさではなくなると、以前の美しいものをつくるデザイナーが、金やもの以外をデザインする人が出てくる。住民の声を聞く時には具体性を求める。でないと一生答えが出ない。悪い顧客みたいになる。ランドスケープデザイン=公園や庭園を設計すること。全人口にしめる農村人口比率が3割を下回るとコミュニティに関心が向いてくる。はたらくとは、はたにいるひとをらくにさせること。だからはたにいるひとがどんな事に困っているのか。クリッシーフィールドのカフェに書いてある「あなたの買い物が公園をサポートします」。オニール氏の葬儀には今まで関わった人や子供たちが集まった。俺もそのような色んな人の意見をきく行政職員になりたい。計画づくりから住民が参加したら思入れができる。

約1か月前

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