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まこと 二児の父親 |
小学生達を主人公にした、短編小説集。どの話も読んだ後スカッとする爽快感がある一方、昔を懐かしむような郷愁がある。基本的には、独立した短編だが、ゆるやかにつながっており、だからこそ最後まで読むとジワジワと感動できる。言葉のセンスも、作品の底に流れる思考も含め、やっぱり伊坂幸太郎は面白いなあと思わせる一冊。自分の中で一番好きだったのは「非オプティマス」。久保先生の言葉一つ一つが心に響いた。
以下、各話の要約。
『逆ソクラテス』
ソクラテスが「自分は何も知らない」ということを知っているのに対し、担任の久留米先生は「自分は何でも知っている」と思い込んでいる「逆ソクラテス」であった。草壁を劣等生と決めつけ、見下した態度を取っていた。その先入観を覆すべく、安斎は「僕」と様々な作戦を立てる。
「僕はそうは思わない」
『スロウではない』
運動が得意ではない僕の隣にはいつも悠太がいた。二人はいつもドン・コルレオーネの真似事をして気分を晴らしていたが、「僕」はくじ引きによって同じように運動が苦手な木村花らとともにリレーの選手になってしまう。
「ドン・コルレオーネ、いじめっ子は許されるんでしょうか」
『非オプティマス』
いつも同じTシャツを着ている福生はみんなから貧乏だと思われている。でも、もしオプティマスプライムのように変形したら・・・「今、僕のことを馬鹿にしている人は気まずくなるだろうね」とつぶやいた。「僕」と福生はわざと缶ペンケースを落として授業妨害を首謀する騎士人を苦々しく思っていた。担任の久保先生はそんな騎士人を止めることができなかったが、授業参観の日にこう言った。
「一番重要なのは」・・・「評判だよ」
『アンスポーツマンライク』
「僕」は「歩」という名前に反して、いつも肝心なときに大事な一歩を踏み出すことができない。ミニバスの試合の大事な場面で「僕」が躊躇ったこと、そして駿介が躓いた後にアンスポーツマンライクファウルを犯してしまう。それから年月が経ち、「あの時」と同じように、躊躇ってはいけない時がやってくる。
「もしアンスポーツマンライクファウルだったら、相手はフリースローが与えられた上で、さらにリスタートの権利がもらえる」
『逆ワシントン』
「僕」の母は桜の木を切ったワシントンを例に出し、「真面目で約束を守る人間が勝つんだよ」と力説する。一方、クラスメイトの〈教授〉は、ワシントンの逸話はのちの創作だと否定する。誤ってドローンを男の人の前に落としてしまったとき、「僕」の頭を、母の言葉がよぎる。「ちゃんと謝る、とかも大事でしょ。悪いことをしたら謝る、って意外にできないから」僕が足を踏み出した時、同時に〈教授〉の言葉もちらついた。