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Kenny 書くこと、読むこと、走ること |
その女の子とは、今もよく会うんだけど、大学の1年生の夏にフラれたこともあって、でもそのフラれる前の前の日くらいに、大学の寮の裏手にある駐車場のところで、せなかをがっちゃんこして歩いたのは、夢かもうそうかリアルかわからない。ぼくはその娘と付き合いたかったからぼくはぼくを彼女の目で何回もみたから、ぼくはその女の子でもある。
視点が移るということは、その娘の目にも、その娘をみている星の目にも、その星をみている世界の目にもなれるということで、その目は過去にもむかえば、未来にもむかう。ぼくは、わたしは、彼も彼女も生きていて、死んでいて、世界の目としてみると、この、ここに、存在してくれてありがとうってなるのは、すげぇ。
山下澄人『緑のさる』は、すごくなんというか、つながっているっていうこと、それはモラルとか共同体とかかんけいなく、つながれ!ではなくて、正味、つながっているんだよ、と教えてくれて、ぼくはとなりでいつもラップトップをがちゃがちゃ叫ばせる嫌われものにもやさしくなれた。そして、好きな女の子に対しても、なおさらで、次に会ったときに、会った瞬間、泣いてしまったらどうしよう。そんなことを考えている。