みすず書房の本

生存する意識――植物状態の患者と対話する

生存する意識――植物状態の患者と対話する エイドリアン・オーウェン

脳溢血とかで倒れて、昏睡状態になる。だいたいはそこで植物状態になる。植物状態とは、呼びかけなどに意識的、随意的な反応がなく、周囲の状況などを一切理解してないとされていたが、最近では、意識はあって、見えているし聞こえているけども、肉体が麻痺していて外界との意思疎通ができないという患者がいることがわかってきた。しかも植物状態の患者の15から20パーセントがそうだという可能性があるらしい。こういうのを閉じ込め症候群というらしいのだが、意識があるのとないのの間ということで、グレイゾーンと呼ばれている。これは脳科学を通じて閉じ込め症候群の患者たちとの意思疎通を研究してきた人の本。 こんなことで?と思うようなことがヒントになり研究が進展していく様子はミステリを読むみたいでめちゃ面白い。 でも、この人はもうダメですね、じゃあ呼吸装置を外すか、とかこんな会話が聞こえてきても、それが聞こえていることや、自分が生きてることが全く伝えられないまま、死ぬしかなかった人が少なからずいるわけで、痛みなどはなかったにしても、その怖さたるや想像を絶する。 とはいえ自分がそうなったら、多分安楽死を選ぶんだろうと漠然と思い込んでいたら、なんと多くのグレイゾーンの患者はそれを望んでいないらしいこともわかってきたのだとか。生とはかくもすごいものなのだな。

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ヒトラーのモデルはアメリカだった――法システムによる「純血の追求」

ヒトラーのモデルはアメリカだった――法システムによる「純血の追求」 ジェイムズ・Q・ウィットマン

ナチスがユダヤ人を諸権利の剥奪を明確に規定したのはニュルンベルク法で、これは天下の悪法とされている。悪法も法なりというやつで、通常の法制定同様、制定や施行までにはさまざまな議論があったらしい。つまり、それまでに存在した同様の法律を参考に議論が繰り広げられたのだそうだ。 が。当然ながら、ドイツにはそんな法律は存在しなかった。だからこそ作らにゃならなかったわけだから。そしたら、諸外国の法を参照するほかない。しかし、そんなひどい法律に参照すべき前例などあるのだろうか。ハンムラビ法典みたいな太古のものでなく、近代の法制度でそんなもんがあったのだろうか。なんとそれがあったのである。著者が紹介するナチスの議事録にははっきりと書かれている。やがて敵国として戦うことになる自由の国、アメリカの法律であった。 アメリカは自由の国なんかではなかった。奴隷制が廃止されてからも、アメリカはアパルトヘイトのような人種ごとの分離政策がとられていたゴリゴリの人種差別国家であった。無論取りようによっては今でもそうだ。 しかも、ナチスの法制定者たちがあまりに厳しすぎるというほどに人種差別のルールが徹底していたというのである。ニュルンベルク法制定当時、ユダヤ人の明解な定義はできるだけ狭いものにすることが求められたのだけれど、アメリカではワンドロップルールというのがあって、一滴でも異人種の血が入っているとされれば、もはやその人はどんなに白くても白人ではなかったという。 もちろん、こうした法制度が参考にされたからといってナチスの戦争犯罪がアメリカの責任になるわけじゃない。 だが、しかし。アメリカに根深く巣食う人種差別はナチスに勝ってからなくなったのか? そうではないことはご覧のとおり。 エリック・リヒトブラウの『ナチスの楽園』でも取り上げられたように、ナチスの高官や科学者が戦後アメリカに多数移住することができたという事実同様、そうした恥ずべき歴史を直視することも時には必要なことなんだろう。

三月十五日 カエサルの最期

三月十五日 カエサルの最期 ソーントン・ワイルダー

ちゃんと作者を見ずに不覚にも歴史書だと思って手にとってしまったのだが…ピュリッツァーを二度受賞している偉大な作家が描いたカエサルの晩年が面白くないわけがない。全て書簡で構成されており独裁者とそれに関わる人達の心理というか動きが手紙の形で次々に展開される。ガリアを征服したことで力を持ちすぎたと元老院に警戒されたカエサルは無位無官になって帰国しろ、と命じられる。待っているの死という状況で当時ローマ人にとってタブーだったルビコン川を渡ってローマに逆に攻め込み内乱を制覇、事実上、唯一の指導者となっている。その状況の中で暗殺されるまでの8カ月について架空の人物を交えて書簡の形式でカエサル本人、関係者、政敵などの心の動きが見事に描かれている。登場人物は一部を除き実在の、書簡については殆ど作者の創作、という形式だがさもありなん、と思わせる作者の技量が見事。面白かった。

最後のソ連世代――ブレジネフからペレストロイカまで

最後のソ連世代――ブレジネフからペレストロイカまで アレクセイ・ユルチャク

非常にあっけなかったソ連の崩壊。国民は、祖国が確固たる基盤に立ち不変の存在だと信じていたのにもかかわらず、崩壊の過程においてはそれをあまりにもあり得ることだと感じていたのだという。本書はこうしたソ連崩壊がなぜこうまでなし崩しに起きたのかを自らの実体験とさまざまな聞き取りで明らかにしていく。ソ連の日常、特に本書で分析の対象となっているブレジネフ時代以降は党の指導に愚直に従う体制派と、そうした体制をかいくぐりながら自由を希求した反体制派(ここでは異論派)というような、二項対立があったとされるが、実はそうではなく、共産主義に対する真摯な信頼と信念を持ちつつも、それに反することもするといういわばねじれた関係が市民にとって普通の状態でありえたという。そうした言説の意味の捉え方の方法論の違い(ここではオースティンの概念を援用してコンスタティブ・事実確認的な発話/パフォーマティブ・行為遂行的な発話に分けられる)により、党のガチガチの権威的な言説がいわば形式的なものとなって脱構築されていき、誰もがイデオロギーに従っていながら、それを気に留めなくなったという不可思議な状態(本書ではヴニェと呼ばれる)となったことが、ソ連の崩壊を準備していったとする。オーラル・ヒストリーとしても抜群に面白い数多くの聞き取りをはじめ、読み出したら止まらない。

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これを聴け

これを聴け アレックス・ロス

気鋭の音楽評論家らしい。ピュリッツァー賞の候補にまでなった評論集が面白いかなと思ったのだけどあまりの大著にビビったため半分くらいの厚さのこっちをまず読んでみた。元々作曲家を目指していたがハーヴァード在学中に書いた論文が注目されて若くしてニューヨーカー誌の音楽評論を担当しているという筆者。個人的には音楽評論の重要なポイントは読んでその音楽を聴きたくなるかどうか〜まぁ他の評論もそうだけど〜と思うのでその意味ではさすがに大したものだと思った。作者はこのジャンル分けを嫌ってはいるがクラシックに軸足を置いてて個人的にはあまり馴染みのない分野だけど取り上げてる曲に興味を持った。大著にも挑もうかな…

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精神の革命――ラディカルな啓蒙主義者と現代民主主義の知的起源

精神の革命――ラディカルな啓蒙主義者と現代民主主義の知的起源 ジョナサン・イスラエル

現代に生きる我々にとってごく普通な概念である人権、思想や信教の自由、また人種間の平等など、いわゆる人類の普遍的価値と呼ばれるものが定着してきたのは、つい最近の話であって、まだまだ定着したとはいえない国や地域もある。日本だってアメリカだってそうした価値観が100パーセント浸透してるとは言い難いところがある。ではそういう普遍的価値観はどこからきたのだろうか。 本書の著者であるジョナサン・イスラエルによれば、哲学者スピノザに始まる急進的啓蒙主義がそうした価値観を見出し、広めてきたのである。急進的な啓蒙主義者が声高な主張により、思想的素地を固めてきたからこそ普遍的価値観が根付くことができたのだという。急進的? 啓蒙主義はそもそも急進的だったのでは?と思ったりしたが、そんなことはなかったようだ。穏健な啓蒙主義者はあくまでも王権やキリスト教的価値観に立脚しながら、つまりは身分制度などはそのままに限定的な改革を志向していたという。 イスラエルの論旨は明快で、普遍的価値観を広めた啓蒙主義者は急進的なそれであって、そうでない主義者は負けたのだ、というのである。 その意味ではとても論争的で結論ありきのプロパガンダみたいなものだが、あまりにも博覧強記なものだからふむふむと頷きながら読むしかなく、気づけばなるほどなあと唸らされることしばしばであった。こうした姿勢に対しては批判も多いそうだ(事実、訳者も批判的)。 それでもこれだけの説得力はすごい。ディドロと、ダランベール、ヴォルテールは百科全書派って習ったけれども、ディドロの急進性に比べて後の2人はそうでなく、どちらかと言えば対立していたなんてちょっと信じられん。

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子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から

子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から ブレイディみかこ

英国ブライトンの託児所で働きながら本を出すブレイディみかこさんの新作。その職場となっている託児所についての文章がまとめられてます。失業支援センターの中の託児所で、集まる子どもは非常にヘビーな家庭ばかりですが、たまに明るくなるような場面もあり。またブロークン・ブリテンと呼ばれる英国社会政策の問題と難しさについても考えさせられる本です。

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この道、一方通行

この道、一方通行 ヴァルター・ベンヤミン

知り合いの女性への片想いとコミュニズムへの関心を一方通行の道にたとえています。その道を歩きながら、街中で繰り広げられる光景をメモ書きしたような断章がずらっと並んでいます。カフェ、ビアホール、子供達。どこまでが現実の光景でどこからがこの人の思索なのかその境が曖昧で、混じり合ってる感じの文章です。読んでいると、街の様々な目映いイメージが浮かんできます。

手話を生きる――少数言語が多数派日本語と出会うところで

手話を生きる――少数言語が多数派日本語と出会うところで 斉藤道雄

“聞こえないということは、ことさら認識し、受容し、克服しなければならない障害ではない。あなたは聴の子と同じように学び、遊び、よろこび、悲しみ、育つことができる。”ここで紹介されているのは、手話で育ち、手話で生きるもうひとつの世界だった。

ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在

ウイルスの意味論――生命の定義を超えた存在 山内一也

思考する訳でもないのに、見事な社会行動をしたり物を作ったりする昆虫も「うえ〜」と思うのだが、細胞ですらない物質の連なりであるウイルスが、宿主や生態系を活かしたり、「免疫」(人間がウイルスに対する、ではない、ウイルスがウイルスに対する、だ)を持ってたりって、一体何なんだろう。日本のウイルス学の泰斗の一人がやさしく説く、全編「うえ〜」「ぎょえ〜」の一冊!

タコの心身問題

タコの心身問題 ピーター・ゴドフリー=スミス

最近タコかコウイカなどの頭足類には意識/心があるとされているらしい。例えばタコを実験に使う場合は人道的な処置が必要だそうな。本書によれば、タコは特定の人物を記憶したり、興味を持って近づいてきたり、場合によってはいたずらを仕掛けたりまでする。ではその意識/心とは人間に近いものなのか。そうではなく、我々や猫、鳥なんかのような脊索動物と、頭足類とは進化の系統樹のはるか根っこに近い部分、つまりこうした意識が発生する前に種として別れているので、我々とタコの意識/心は別々に進化したという。 それだけでも相当に驚かされる話ではあるが、さらにタコとコウイカたちも、もしかしたら意識を持つ前に分化した可能性があるという。ってことはタコとイカは別の意識/心な訳だけど、要は未知との遭遇や、レムの著作に見られるような異星人との邂逅みたいなものが、なんと身近なところで2回も!あったことになるのかも。それもすごい話だ。偶然なのか、映画の火星人ってタコに似てますよね(本書にも書いてあるけど)。 しかし、先日は『魚たちの愛すべき知的生活』で魚の意識について読んだところでこれとは。意識/心の存在はどこまで拡がるのだろう。また、違う発生、形成の道筋を辿ってきた意識/心と我々はどうコミュニケーションできるのだろう。

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例外時代

例外時代 マルク・レヴィンソン

第二次世界大戦以降、1970年代前半まで続き、オイルショックで収束した世界的な好景気のような高度成長経済は果たしてまた訪れることはあるのか。それとも、そうした好景気はたまたまのことで、もはや望むべくもないのか。 筆者は好景気の時代こそが例外であり、低成長が本来の姿であることを、おおよそ70年代後半からの経済停滞に世界各国がどう対処し、良きにつけ悪きにつけどのような成果を出したのか、さまざまな人と政策をつぶさに紹介しながら例証していく。 福祉を重視する大きな政府から自己責任が求められる小さな政府への移行(例えばアメリカ)、反対に民間企業を国有化する政策(これは同時期のフランス)、様々な国が様々な方法であの黄金時代を取り戻そうとするが、どの国もそれを果たせない。揺るがぬ信念を持つ政治家、確たる理論で武装した経済学者たちはどの国にもいつもいた。うん、いるにはいたんだ、いるには。けれど、そうした信念も理論も大した役には立たなかったってことだけは明らかだった。経済成長なんてこんなもんなんだなーという諦念のような認識から何を考えていかなきゃなんないのか。これまでの暮らし方とか、そういうことも含めて。

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告 ハンナ・アーレント

前から一度読んでみなきゃ、と思っていたものの哲学者の著作ということで難解だろうと腰が引けてた一冊。雑誌ニューヨーカーの依頼による裁判傍聴記と知って手にとってみました。何が興味があったかというとサブタイトルで、自身もナチによって故国ドイツを追われたユダヤ人の彼女が何をもってこの悪を陳腐、と言ったのか、がすごく気になっていて…。アイヒマンはナチでユダヤ人移送の責任者をしていた男で戦後アルゼンチンに逃亡しておりイスラエルによって拉致されエルサレムて裁判にかけられ絞首刑になった男。一説に600万人と言われる犠牲者の殆どはこの男が出した指示でアウシュビッツをはじめとする強制収容所に送られた。一方でこの男はあくまで当時彼の暮らしていた国では合法であった命令に従っただけであり、かつ移送の結果に関しても強い反対意見を正式に述べていたりもするのだ。作者は悪しき体制に諾諾と従った、という意味で裁判の結果は妥当であるとしつつも個人に関しては生まれつき邪悪であったわけではなく悪い方針と知りつつ流されてしまったところに罪があるとした。当時この立場は特に同胞から強い批判にさらされたそうだが妥当な結論ではなかろうかと思う。特殊ではなく陳腐であるが故に誰しも同じ状態になり得るために悪は恐ろしいのだ、という意味かなと解釈している。

夢遊病者たち 2――第一次世界大戦はいかにして始まったか

夢遊病者たち 2――第一次世界大戦はいかにして始まったか クリストファー・クラーク

そして下巻。 バルカン半島を巡る列強のしっちゃかめっちゃかとデタント、そして不幸な事件から開戦前夜までの時間が「いかにして」経過していったのかが丁寧に辿られる。各国のデタントは危機回避の機会としては優れていたが、デタントの事実自体が政策決定者の思考を停止させてしまったのかもしれないが、それ自体は列強の紛争を防ぐためには必要であったしまた有意義でもあっただろう。暗殺の後も、何が何でも戦争に突き進もうとした者はなく、誰もが戦争回避に向けてあくせくと努力をしていた。問題はすでに上巻でも触れられていたような首相と外相、あるいは大使らの間で常に揺れ動いていた意思決定のあり方や各国、また各人の間での思い込みなどであった。いまにして思えば、ということを極力排しつつ事実が並べられていくが、その節目節目に戦争を避けられたかもしれないきっかけが見え隠れしている。これは作者の解釈であるのかもしれないが、大変説得的で示唆の多いところ。 それでも歴史は戦争に突入する。政策決定者は「夢遊病者であった。彼らは用心深かったが何も見ようとせず、夢に取り憑かれており、自分たちが今まさに世界にもたらそうとしている恐怖の現実に対してなおも盲目だった」という指摘の重さ。 ドイツの戦争責任論に対する反駁として本書を捉える向きもあるそうだが、やや一面的な見方のように思われる。とはいえ世の中は分かりやすい悪役を求めるわけで…。 これだけの膨大な資料を渉猟したものであるということで細かなミスというか勘違いが散見されるようだが(それを一つ一つ指摘している訳者もまた素晴らしい)、そうしたことを差し引いても読むべき本だと思う。

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夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか

夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか クリストファー・クラーク

ちょうど一世紀前に起こった初めての世界戦争である第一次世界大戦については回顧録や証言をはじめとする膨大な資料があり、またそれに基づいた膨大な研究がなされているが、本書はそうした類書や研究を踏まえ、「なぜ」戦争が起こったのかではなく、「いかにして」起こったのかを描こうとする。 ここで常に述べられているのは、いま、すなわち論者が過去の出来事を観察する時点でのバイアスをいかに避けて事実を到達するかということ。我々が過去を振り返るとき、既に経過した時間があってこその見方が可能になることがある。そうした見方は過ぎた出来事を明快に整理して解明してくれるように見えるが、それはあくまでも解釈の一つでしかないことは忘れられがちである。 最終章でも触れられている通り、こうした解釈では行為の原因論としてなんらかの悪役、戦争に至る引き金を引いた張本人が設定されることが多くなるが、それは単なる皮相的な事実でしかないわけで、その中に見え隠れする複雑なメカニズムを見ようとするのが本書。 素人が読んでもわからないことも多かったが、こうした姿勢に圧倒される。上巻は、一般に大戦の原因とされるサラエボ事件の淵源がどこにあるのか、バルカン半島を巡る列強の複雑怪奇な動向がまとめられている。

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〈和解〉のリアルポリティクス――ドイツ人とユダヤ人

〈和解〉のリアルポリティクス――ドイツ人とユダヤ人 武井彩佳

旧日本植民地の人々が「心からの反省」を求める時、具体的にそれは一体どういう状態なんだろうとよく思う。金ではない、気持ちだという人もいるが、ある一国の国民全てが一つの心を持つというのはありえない以上、やはり条約、立法、補償・賠償という政治によるカタチが必要になる。この本は、ドイツはこんなに素晴らしいのに日本はダメですね、という本ではない。例えば以外にもある方面への補償は2015年までされていない。ならば、今までされてきた補償とは、なぜどのようなリアルポリティクス(現実政治)でなされたのか。それは(西)ドイツの利益追求の過程でもあったことが明らかにされる。日本と違って早々に再軍備をし集団安保の中枢の座にも座るのだ。(一方で東独は全く熱心でなかった。) 一読して、やはりこの本から日本のこれからの政治が学ぶべきことはたくさんある。ただ、過ぎてしまった年月、地政学、相手国や国際状況を考えると、実行は全く簡単ではない。 一つヒントになりそうな点があるとすれば、ドイツは自国民の強制動員や戦争被害に対しても責任追及と補償を行なっていること。これが筋や法理の上でも現実政治の上でも、国際補償の遂行に大きな力となったように本書は読めた。最近、原爆手帳の交付が、二次被爆者や「韓国の被爆者」にもなされた。我々はそれを苦渋の被爆者運動と司法・行政の呼応の一つの形として安堵する事はあっても、反日運動による被害とは思わないだろう。ここに至るまでのリアルポリティクスを辿る事で、我々自身の戦後を否定的でなく他者と見直すことは、できないか。 ちなみにこのサムネイルは本扉の写真で、カバーはもっとカッコいいですよ。