平凡社の本

水の音楽

水の音楽 青柳いづみこ

ピアニスト、青柳さんの水の精、セイレーンやオンディーヌ、メリザンドなどにまつわる音楽の話。得意のドビュッシー、ラヴェルやショパンの曲を聴きながら読めば、充実した休日を過ごせる、と思う。

新書874「ネコ型」人間の時代

新書874「ネコ型」人間の時代 太田肇

がちがちの社会学論文ではなくて、先行論文やデータを根拠にしつつラフに書かれていて読みやすい。 私たちは会社や学校に管理されることに慣れてしまっているし、それを楽だと感じてしまってもいる。でも自由に動けて自分の意見がダイレクトに反映される組織なら、よりやりがいがあるだろう。目標管理制度やメンター制度はうちの会社もあるけど、その意義や報酬が見えないので今ひとつ頑張れないのも事実。 私も夫も仲の良い友人もみんなネコ型なので、共感できる部分が多かった。

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迷信博覧会

迷信博覧会 種村秀弘

迷信は、虚実皮膜のあわいに如何わしく生ずる。動物・運・物・暦・食・呪の各章に分かれ陳列されたこの博覧会。西独の〈悪魔の糞〉、日本の絵馬と東欧のエクスヴォト、媚薬の正しい使用法、敷居またぎ、13日の金曜日といった展示物が並びます。私のお気に入りは、わずか6ページの『霊柩車の運転法』。種村先生宅の近所で伊丹十三が『お葬式』を撮影していた話から始め、ついでスクリーンのなかの霊柩車について語る口調は、若き日の種村先生の映画評論を思い起こさせます。信じようと信じまいと迷信はそこにある。楽しまなくては損ではないか。

宮本常一と写真

宮本常一と写真 石川直樹

昔の日本人の瞳は貧しくても輝いていた、というような言説には疑いをもって接するようにしていますが、この本に収められた写真の中の人々の表情は確かに輝いています。撮影時期はほぼ1960年代。ほとんどの写真は明らかに同意を得た上で撮影されており、宮本常一と、被写体となった人々との関係性が人々の表情に反映されているのかなと感じました。山口県浮島や佐賀県呼子での、船上で過ごす子ども達の写真が特によいです。風土記と万葉集を鞄に入れて旅をするというスタイル、いつか出張の時に真似してみたいな。

黒と白のジャズ史

黒と白のジャズ史 中山康樹

ジャズを作り出した人々と、 産み出されたレーベル、レコードをが、たっぷりのジャズ愛とともに描かれてる。 もっともっと、一人一人の歴史として学びたいなぁと思わせてくれた、私にとって「ジャズ全史」的作品でした。

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菊池伶司 版と言葉

菊池伶司 版と言葉 堀江敏幸

わずか一年数ヶ月の活動期間で約60点の作品を遺し、1968年に22歳で早逝した銅版画家の作品集。堀江敏幸らの解説のほか、生々しい日記が併録されています。大学の仲間や日展の出品者らへの激烈な批判。手紙文の形式での思索。詩集や哲学書からの抜き書き。解説文にも触れられている通りいかにも青年の日記。正直読んでて気恥ずかしさを伴います。でも、我々は過去を振り返って身悶えできるけれど、この銅版画家にはそんな時間は与えられなかった。若い頃の行動や思索を直視せよ、今あなたはどう生きている?と問われているように感じました。

新書715新京都学派

新書715新京都学派 柴山哲也

元新聞記者の著者は、本書をアカデミックな世界のノンフィクションを目指したという。戦後の京大を舞台に活躍した新京都学派と呼ばれる面々と間近に生きてきた時代の雰囲気が行間から溢れる。こういう学者さんたちを引き寄せる京大って、やっぱり良いなあと思う。

「負け組」の戦国史

「負け組」の戦国史 鈴木眞哉

歴史とはとかく勝者によって紡がれるものであり、敗者に光が当てられることは少ない。 本書は応仁の乱から、大坂夏の陣まで、戦国時代を通しての敗北者たちに焦点を当てた一冊。 明智光秀や、武田勝頼、豊臣秀頼クラスの超有名どころの敗者はさておき、織田政権下の河尻秀隆や、秀吉配下の神子田正治や、尾藤知宣みたいな、そういえばどうなったんだっけ?クラスの面々のその後が分かるのが面白い。 一口に負け組と言っても、敗北に至った理由は様々で、必ずしも本人の無能さや、判断のミスばかりが理由なのではなく、突き詰めると「運の無さ」に集約されていくところも興味深い。

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江南春

江南春 青木正兒

著者自身により雑文集と規定されているが、実際は濃密な文章の集積。表題作は大正11年の中国旅行記。この人はほいほい一人で街中も野山も歩きまわり、鉄道用の鉄橋まで歩いて渡ってしまう。風景描写に陶然とする。『支那戯曲小説中の豊臣秀吉』は、秀吉の死をどれだけ明の人々が喜んだか我々に教えてくれる。もはや人ですらなく「長さ約数千丈、蛇形にして魚鱗あり」な妖怪として描かれる秀吉。『醜の芸術味』では、支那近代芸術が狙っているのは「美」ではなく「真」だと畳み掛け、「醜の芸術味を絶叫」する。ページごとの情報量が尋常ではない。

マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防

マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 長岡義幸

戦後に顕著となったマンガへのパッシング。 初期の「悪書追放運動」から、80年代後半の「有害コミック」問題、そして「児童ポルノ禁止法」の成立まで、丁寧に当時の史料を掘り起こししつつ、その問題点をあぶり出していく一冊。 表現規制と表現の自由。「悪いものだから」という近視眼的な視点から、嫌悪感だけが先に立った規制論が、権力者側に体よく利用されているだけのように思える。 規制側の上層部に警察官僚が続々と天下ってきているあたり、暗澹たる気持ちにさせられる。

アイヌの物語世界 (平凡社ライブラリー (190))

アイヌの物語世界 (平凡社ライブラリー (190)) 中川裕

“これが本来のスタイルを保っているものだとすれば、『神謡集』の「銀の滴」にも、やはりもうひとつサケヘがついていた可能性が高い。しかし、たとえそうであったにせよ、『神謡集』は「銀の滴降る降るまわりに」という美しいフレーズで冒頭の一篇が始まっているからこそこれだけ多くの人の心を掴んできたのだとも言える。優れた文学的感覚でそれを感じとっていた知里幸恵は「銀の滴」という響の美しさを優先してあえて本来のサケヘを外してしまったのかもしれない。”

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