新潮社の本

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実際に従軍した方が、莫大な資料を基に、又自身の体験を基に(資料からの部分が多いのですが)回想する太平洋戦争(様々な呼称がある事も、またその重要性もわかりますが、私個人の感覚としてはやはり太平洋戦争なので、「太平洋戦争」と表記させていただきます)のニューギニア戦線についてです。 日本兵が戦って死ぬよりも、ずっと多くが飢えと疲労と病で死亡した、という事実を細かく、丁寧に、そして自身の振り返りたくない過去を振り返り、罪を認めるという文です。私は事実とは何か?も重要だと思いますが、ある行為や、歴史的な出来事に参加した(またはせざるを得なかった、あるいは巻き込まれた)人がどう感じたか、どう感じて今を生きているか?も非常に重要な事だと思います。個人がどう感じたか?が、ひとつの出来事でも数多くの人が参加した歴史的出来事であるなら、その数多くの人々にとってそれぞれの捉え方があると思いますので。ですから、この飯田さんの証言がすべて正しい真実かどうかを私には判断する事が出来ないし、する必要がなく、そう感じて、憶えていて、残そうとする人の書いた文章だと思って読みました。けれど、もちろん事実にとても近いだろうと、思います。「総員玉砕せよ」の水木しげるさんもそうですけれど。 いわゆる軍部の方々の実際の所の責任の取り方が不明確だったり、うやむやだったりした為に未だに「戦後」が続いているのだと思います。国内においても、国外においても。東京裁判自体を詳しく知っているわけでは有りませんし、きっと様々なしがらみがあっての判決なのでしょうから(いわゆるパール判事の存在も知ってはいますが)戦勝国が敗戦国を裁くのであるなら、ある程度は仕方ない事だとも思います。どちらかというと、対外的には東京裁判の結果を受け入れてサンフランシスコ講和条約を受け入れて主権を回復したわけですから、今更、あの戦争は正しかった、とか東京裁判は正しくないとか言っても仕方ないのではないか?建設的にはなれないのではないか?と個人的には思います。東京裁判ではなく、本当は日本人が自主的に戦争犯罪は誰に、どの時期に、どのくらい責任がある、という総括をするべきなのだと思います。もちろんご存命の方は出来るだけ参加で、保守的な方々も、革新的な方々も、日本人であれば誰であっても議論に参加出来るような合意形成をとりあえず結論がだせなくても繰り返す事が必要だったのではないか?と私個人は思うのですが、そういう事をすると自由な余地が少なくなるのでより窮屈になるかもしれませんが。 私個人の意見ですし、はっきり言って知らない事ばかりですが、人はすべてを知り、未来を見通せる能力のない以上、あらゆることを考え、様々な意見を聞いた上での判断を下すべく努力し続けるべきですし、謙虚になるべきだと思います。失敗や間違いから様々な経験や教訓を得るべきです。がどうも「誇り」や「プライド」がそれを邪魔する方が多いように感じます。「最初から負ける事を考えているから負けるんだ」的考え方も必要な部分はありますが、それだけでは決してどうにもならない問題が多く存在する事も考えない人が、先ほどのような言葉を口にしているように感じるからです。いわゆるマッチョ的なものの、愚直さを良しとする傾向を認めることが出来ません。ですから「終戦」なんて本当に馬鹿げたネーミングですし、事実から眼を伏せることになりかねない(それも日常的に!)のが気に障ります。 命令を下される側の無残な結果を思い知らされる(事実に近いと私は思いますが、そうでなかったとしても、こういう本を残したいと思わせる体験だったのだとは推察されます、私には)内容でした。命令を下す側だった方の意見も聞いてみたくなります。 私にはリドリー・スコット監督、映画「ブラックホーク・ダウン」を思い起こさせる本でした。有能でない上司の命令が逆らえないところが、軍隊なのですから。恐ろしいです。 個人が抱えている戦後に興味のある方にオススメ致します。 2008年 9月

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「基本的な感受性が、どんどん即物的になってきている気がするのです。」小さな画面で見る短時間の映像に親しんでいる世代は、ある意味「見立てる力」が奪われている。反面、よりおもしろいモノを求める探究心は増しているのかも。

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高度経済成長期後のサラリーマンの等身大の姿。現代の病気と思っていたうつ病なども当時からあったと知り、やっぱり日本人は真面目なんだなあとしみじみ思ってしまった。 モーレツサラリーマンなど今では死語になっているような単語にも触れて昭和を垣間見ました。

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ショート・ショートとはこれだ!と思えるくらいの短編が集まっています。特に『街』がお気に入りで、最初はなんだこの世界観とよく分かんなかったんですけど、最後にはそういうことか!!というオチがくる星新一さんなりの未来の生活予想が面白すぎました。当たる日がきたら怖いかも。

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この方の文章がすきです。 とある町の、日常でよくある些細なことの短編集。微笑ましかったり不安になったり穏やかに心が動く。情景が鮮明に浮かぶ。 きっと優しい方なんだろうなぁ。短編集ということもあり読みやすかった。 特に『苦い手』『トンネルのおじさん』が好きでした。

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身が切られるほどの辛い

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ディカプリオで映画化した原作 今の時代では出来にくい詐欺事件ばかりだが 当時では凄かったんだろうと思う 色々な職業になりすまし また女性を騙す とてもじゃないが 16歳から20歳ぐらいまでの詐欺とは思えない この本を読み終えたのを機に映画も見てみたい!

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久しぶりに読んだサッカー小説。この手の本は、主人公の人間的成長、選手としての成長、チームの躍進と繋がっていくと思いますが、こちらは人間的成長に重点を置いた作品。こういう本をたくさん読みたいですが、なかなか出会えませんね。

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飛びたい。私は夜空を見上げるたびに強く願う。理由はわからない。いや、わかりたくないのかもしれない。ただ言葉にしてしまった途端、それは陳腐でありきたりな何かに変わってしまいそうな気がする。だから私は沈黙する。いつか、それを本当に理解してもらいたい相手に出会うときまで。 この気持ちを、言葉で汚してしまわないように。 なんか、よく分かんないんだけど、共感した。

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刑事のことを『デカ』っていう理由の考察の下りがすんごく面白い これは読まないと分からない面白さだと思う。 でかした、山下!

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「自然の中には絶対にないその味を覚えてしまったキタキツネは、本来の餌であるネズミやカエルや虫をとろうとしなくなり、道路に出て、誰かがやってくるのをひたすら待つようになった。子ギツネの頃から人間に餌を与えられてきたため、大人になっても餌のとり方がわからないのだ。」 現状に変換します。 『自分たちの周囲にはないその表面的な面白さを知ってしまった子どもたちは、不易の古典や文学、丁寧に作りこまれた映画や音楽などの文化に触れようとしなくなり、常にネットにアクセスし、誰かが撒き散らす動画や他人への非難を眺めるようになった。幼い頃からスマホやタブレットを与えられてきたため、人との距離のとり方がわからないのだ。』

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自顕流と示現流、2つあることはあまり知られていないのではないか。「刀は抜くべからざるもの」死んだもの(過去)と活きたもの(現在に伝えられたもの)との共存から、信念を導き出す。撤回や謝罪を繰り返し、結局誰も責任を取らない現世とは真逆の、強烈な生き方を学べる。現状を打破するための精神性は、自顕流の裂帛とともにある。

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戌井さんに興味を持ったら読まざるを得ない。

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ケーキ食べたい 途中の謎解き解説読んでも意味わからんかった

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いや。。。微妙なありえないエンディング。。。

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マラソンが禅と似てメンタルなスポーツだ、というのは同感。マイペースでと書きながらもタイムを意識するのは意外。走ることだけを楽しんでる私とは違うのね。

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私はかなり好きな作家さんの一人でもある舞城さんの短編集です。かなり好きな作家さんなのですが、残念です、舞城さんには私は評価が甘くなる方だと思いますが、それでもこの短編集は少し行き過ぎかと。最近新作もほとんど出版されなくなってしまっていますが、心配です。 舞城作品の中では福井県の西暁(ニシアカツキという地名、実在するか不明)の作品か、東京の調布市の作品かのほとんどどちらかを舞台にした作品ですが、今回は少し長めの表題作「みんな元気。」と、とても短いけれどこの短編集の中では私のベスト「Dead for Good」が調布作品で、いまひとつ掴みどころの無い短い作品「矢を止める五羽の梔鳥」が西暁作品です。 どの作品も舞城作品にふさわしい擬態語に溢れていて特徴あるものの、作品の中で語られるスピードが非常に速く、また速くするために説明を、描写を、省いている感じが否めません。省くことでヒロガリを持たせる事も出来るタイプの文体もありますが、舞城さんのものは私個人は違うと思ってます。ですから、彼の語りたい内容やセリフに今までの作品にはチカラを感じていたものが、非常にムナシク響きやすくなってしまっていると思います。 一見舞城作品の特徴として大きいのが、擬態語や文体なのですが(それ以外にも本当の特色として、物語の長さや、スピード、そしてキメのセリフなり、登場人物の思考のリアルさ、リアルさから醸し出される虚しさ、空虚感【村上春樹作品にも共通する高度資本主義社会に生きる事からくるどうしようもない、逃れられない閉塞感】、そしてその空虚さを認識しながらも、軽く飛び出す事の出来る身軽さを伴った覚悟など)、絶妙のバランスで成り立っていた説得力の様なモノが無くなってしまって感じました。ただ残虐さのリアリティだけでは無い何かが失われてしまって感じました。語りたいスケールはとても大きくて、しかも割合ベタなモノであるのに、ベタからくる恥ずかしさからも逃れる事の出来ていた今までの作品と比較(どうしても期待が大きいと失望も大きく、それゆえ比較せずにはいられない)してどうしてもチグハグで、スケールと物理的なページ数の少なさにも不満を感じます。テーマと長さもあまりにも無配慮ですし、少し現実離れにもチカラの無さを感じてしまう作品になってしまっていると思います。 だからこそ、残念。 それでも、短くはありますが、チカラ強い短編「Dead for Good」は一読の価値有り。 2007年 7月

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江戸時代末期の蘭学者(江戸時代は鎖国制度があったため外国のモノとしては長崎の出島でオランダと中国以外の交易は無かった為に洋学としてはオランダ語しかなく、その勉強をした者を『蘭学者』と呼びます。普通の方は知ってる、学校で習った事実みたいですが私は理系だったし、歴史に30歳ぐらいまで全く知識と興味が無かったモノで。)高野 長英の話しです。 歴史小説は基本的にその場を見た人はいません、事実であろう資料をもとに作者が想い描いたあくまでも小説です。 それにもかかわらず、この吉村さんの描く高野 長英は魅力的人物です。若くして故郷を離れて、親族に不義理を重ねて、またその事を軽く流してみたり、勉学に才能があり、またその事を鼻にかけたり、とワガママで身勝手な側面を持ちながらも、知識を身につけた為に自国の置かれている状況を憂いて、例え牢屋の中にいる身分であってかまわないから洋書を和解(和訳する事を昔は和解《ワゲ》と言うそうです、これも私は最近知った)させてくれと頼んでみたり。矛盾に満ちているようで人間味を感じさせる人物です。その長英の牢屋への入牢から脱獄を経て死までの逃走を追う小説です。 長英の人物としての魅力があり、またその時代における不条理にめげない信念を持った姿が良かったです。そしてそれにもまして、その逃亡する長英を助ける数多くの私意の人達が魅力あふれています。長英を助ける事はすなわち自分の身を危険にさらす事で、その危険は非常に大きく、また、取り返しの付かない事なのに、助ける人達。その人達の葛藤と想いが良かった。 しかし、私がもし全くの知識も興味も歴史に対して持っていなかった頃なら、きっと難しくて読めなかったと思います。 私が歴史に興味を持ったキッカケは三谷幸喜さんです。三谷さんのドラマ「古畑任三郎」が面白かったからいろいろ観る様になって、彼が歴史ギャグマンガ「風雲児たち」を強く勧めているのを何かで読んでから探して読みました、「風雲児たち」。 ハマリマシタ。これを読んでなかったら今までと同じく歴史に全く興味なかったと思います。おかげで今では歴史小説まで少し読む様になりました。 「風雲児たち」を読んでみて、気になった人物がこの高野長英と江川太郎左衛門英龍です。 「長英逃亡」読んで良かったです。「風雲児たち」が面白かった人達にはオススメです。 2006年 12月

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自選短編で、自分自身の作品解説付き!かなりいろいろなタイプの短編が入っています。 個人的に良かったのは好きな短編は、「翼」、「離宮の松」、「雨のなかの噴水」です。逆にこれは?と思ったものは「煙草」でした。 「翼」の相手の心に触れそうで触れられないもどかしさと、最後の悲劇に急に現実的な一言を入れる事によって急に作品全体感覚がかわってしまう所が好きです。また、「雨のなかの噴水」の少年少女のそれぞれの可愛らしさ(たぶんそれぞれの相手にはまだきちんとは伝わらないであろう可愛らしさ)、良かったです。 全体的に当たり前かも知れませんが文章がうまい!広がりと色彩に対する視線の移ろい、その順序等たいへん、美しい という事です。そして叶わないロマンティシズムと叶ってしまうエロティシズムを感じました。 叶わないと分かっているのに願わずにはいられない想い、その感覚の再現がたまりませんし、叶ってしまってはある意味身の破滅にも係わらずその妖しさに惹かれてしまう人の心の動き。 この一冊しか読んでいないのでまだ分かりませんが、気になりますね。しかし私の知識として知っている三島 由紀夫というと割腹自殺なんですけど、なにかイメージが全然繋がりません。どういう事なのでしょうか。もっとマッチョなイメージで敬遠気味だったのですけど。 2006年 6月

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P181 我々は人の言葉に相槌を打ちながら、あるいは考え事をしながら「んー」と声にならない音を出す。これは「イエス」でもない、「ノー」でもない「保留」を意味するものである。 「保留」には「清」や「濁」の区別はない。むしろ、「清」や「濁」を繋ぐ役割をしているように思われる。 「ん」は、平安時代前期に生まれて以来、こうした周縁への広がりとの関わりを受け止める言葉であった。