青土社の本

エネルギーの人類史 上

エネルギーの人類史 上 バーツラフ・シュミル/塩原通緒

ビル・ゲイツが推薦していたので手にとってみました。先史時代から現代に至るまでの人類とエネルギーの関わりを綿密に網羅した作品。人類の文明の進化とはエネルギーをいかに効率的により多く使えるようにしていった過程に他ならない、ということが分かる。現代においては限りのある(しかしどのくらいの限りなのかは誰にもわからないとも指摘している)化石燃料による電気を中心としたエネルギーを主に使っている時代ではあり二酸化炭素排出が問題になっているが、その前の段階、人力と役畜をを中心とし、木材を中心としたバイオマス中心の時代にも森林破壊の問題があった、というように何が正解か、を冷静に分析しようとした作品。つまり原子力の全否定であるとか化石燃料の問題点を指摘する、とかバイオマス礼賛、という立場と目線では全くない。結論めいたこととか未来予測はなく、言わば過去経緯を示して正しい方向を共に考えましょう、みたいなスタンスかと読み取った。高校の物流や代数幾何で赤点を連発した自分のような者には荷が重い箇所がかなりあってちゃんと読めたのか甚だ疑問ではあるが…。

ユリイカ 1989年 3月 臨時増刊 総特集 ※監督 川島雄三 ●<川島雄三作品集 ・エッセイ・ドラマ・俳句・座談会・戯文・シナリオ>

ユリイカ 1989年 3月 臨時増刊 総特集 ※監督 川島雄三 ●<川島雄三作品集 ・エッセイ・ドラマ・俳句・座談会・戯文・シナリオ> 織田作之助

ALSだったのである。女優に喋り方を揶揄われ不機嫌におし黙る痛々しいエピソードを、小沢昭一が愛情深く語っている。小沢はきき返したりせず、聴き取れた言葉の断片から川島の意図をじっくり考えたそうだ。フランキー堺のインタビューからも、川島の自己破壊的な生き方と孤独が色濃く感じられる。作品と監督を重ねるのは邪道だが、自分が若死にすることを自覚しつつ酒をあおり親と絶縁し月収の数倍のスーツを身にまとう生き様は彼の作品の登場人物達そのままだ。「いきてるうちがはなではないか/さいげつひとをまたないぜ」。

ユリイカ臨時増刊号(6 2019

ユリイカ臨時増刊号(6 2019 

内沼さんの寄稿「泡」と「水」という視点、「泡」を洗い流すための場所として書店が機能する、いわばハックされまくる日常からのアジールとしての役割を果たすと理解する。いかに「水」を与えられる場所になるのかこれからの書店が目指す道標の一つだ。更にハックされない場所としての書店を考えるときスタンダードブックストア中川さんの対談で出てきた立ち飲み屋併設の書店も面白い。立ち飲み屋は基本キャッシュオンデリバリーだからテクノロジーの入る隙はない。せいぜい店員にコイツの頼むのはいつもレモンサワーとマグロブツだなあと思われるぐらいだ。 奇しくも東西で同じような考えが出てきたことに偶然ではない必然を考える。 昨今立ち飲み屋の隆盛も(単に所得が低くなった可能性もあるが)皆さん、もうハックされるのに飽き飽きしているというかソフトなディストピアに嫌気がさしてるんじゃないかという気もしている。しかしアプリや端末で管理された立ち飲み屋があったらやだなー。資本系でありそうだが。フェイクはダメよ。

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子育てが終わらない

子育てが終わらない 小島貴子/斎藤環(精神科医)

著者が述べるように、思春期までの子育て本は無数にあるが、思春期から成人以降の親子関係のあり方の本は少ない。ひきこもりの子どもとの関わり、子どもの自立を目指した思春期以降の接し方、夫婦関係と親子関係など、参考になる内容でした。 図書館で借りて読んだのですが、少し内容が増えた新装版が出てるようなので、そちらも読んでみたい。

チェーホフの戦争

チェーホフの戦争 宮沢章夫

僕が読んだのはちくま文庫でだ。宮沢は劇作家・演出家。なぜ、それほど人をひきつける魅力があるのか、4つの代表作を劇作家の眼で、演出家の眼で解釈する。チェーホフを読んで、舞台を観て、この本を読む、実に楽しい冒険だ。

人新世とは何か ―の思想史

人新世とは何か ―の思想史 クリストフ・ボヌイユ

いま地質学的年代区分として人新世という言葉が出てきているらしい。石油なんかを燃やしたり、プランテーションで本来の産地とは違うとこに単一的な作物を育てたりしている人間の活動が、地質学的に無視できないレベルにまで達していることから提唱されたという。例えば核実験が行われるまで存在しなかったプルトニウムや海洋に漂うマイクロプラスチックなんかは確実に後世の地層に人間の痕跡を残していくわけで。おー人間すげえ。とか言ってる場合ではなく、数千万年、数十億年もの時間をかけて形成されてきた環境をわずか数百年で後戻りできないほどに変化させることの意味を振り返る必要がある。 ターム自体の提唱は最近のことだとしても、人新世という用語が唱えられるまで、我々はこうした事態について何も知らなかったのか、また何もして来なかったのか? それを問いなおすのが本書。先人たちは自分たち人間の活動に無知でもナイーブではなかった。科学者は危惧を表明したし(シャルル・フーリエはやはりすごかった、アルシブラ万歳)、農民たちは反対運動を行った。が、それらは脱抑制されてしまった。政治や産業、あるいは時代の要請に。 はっきり言ってこの本が描く現状は暗すぎるほど暗い。シンギュラリティとかAIとか、そんなことさえ言ってらんない。コネクテッドカー? 何言ってんの。それらが拠って立つ基礎が、もはや取り返しがつかない状況にまで追い込まれているっていうのに。 でも、脱抑制から逃れて、一人一人が声を上げればまだ変えられるかもという希望も抱かせてくれはする。さあどうだか、と思いつつも、パンドラの匣の底を覗くしかないんだろうか。 しかし、ほんと青土社の本は校正が弱くて参ってしまう。誤植が本の価値を毀損するわけじゃないが、それにしてもさ…。

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