早川書房の本

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンズ/友廣 純

重厚な北米文学。 本当に本当に、すごい物語。 まるでレミゼラブルのような、或いは赤毛のアンを全巻通したような読後感。 貧困、被差別人種、麻薬中毒者、傷病軍人・・・社会的弱者や落伍者を隠すのは未開拓の湿地、沼地だった。 行政が行き届かぬ未開の沼地。 或いは、見てみぬふりをされてきた土地と人々、と言うべきだろうか。 そんな湿地帯から少し離れた街には「文明」社会がある。 しかし、その「文明」社会には有色人種差別、偏見と搾取、反知性に満ちている。 社会福祉の理想も現実的な支援の手も届かない。 それは沼地が支援を拒むのか、文明社会の人間が手を差し伸べないからなのか、答えは出ない。 物語の主人公カイアも貧困と被虐待家庭に生まれた白人の貧困層だった。 食事、衣服、教育どころか基本的な保護と安全でさえ享受できずギリギリの状態で育ち、やがて周囲から保護者はひとり残らず去ってゆく。 p.293『辛いのは、幾度もの拒絶によって自分の人生が決められてきたという現実なのだ。』 そして、この孤独で知性的な女性をある者は嘲笑し、ある者は搾取し、ある者は遠目に見てみぬふりをする。 抑圧、偏見、苦痛、孤独、そして罪と劫罰。 文明社会には何があっただろうか。 およそ彼女が触れる文明社会の住民たちの多くは偏見と搾取に溢れ、その様は冷酷で反知性的である。 そして、彼ら彼女らには多くの隣人・友人、「家族」に囲まれている。 その一方で彼女は言葉を持ち、自然があり、科学を有した。彼女のあり方は知性的でさえある。 そして、彼女は完璧に孤独である。 孤独の中で、いくつかの優しさ、善良さに出会う事ができたのは彼女の僥倖でもある。 沼地という過酷な大地と文明社会という冷酷さ。 これら過酷で冷酷な湿地帯だからこそ、優しさや善良さもまた育まれるのかもしれない。 この物語で何を得る事ができるのだろう。 これはひとりの女性の育ちの物語であり、知性と反知性の物語であり、文明と未開というナラティブなフィールドワークであり、どこまでも孤独の物語である。 知性的かつ善良に、過酷な沼地で孤独に暮らすように生きるか。 反知性的かつ冷酷に、偏見と搾取に溢れた文明社会で大勢と一緒に暮らすように生きるか。 湿地の少女は生き方を迫るようだ。 P.155『できるだけ遠くまで行ってごらんなさいーずっと向こうの、ザリガニの鳴くところまで』

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ただの眠りを

ただの眠りを ローレンス・オズボーン/田口 俊樹

レイモンド・チャンドラーは最も好きな作家の一人でそのオマージュ作品とあっては手に取らざるを得ない。かってスペンサー・シリーズでお馴染みのロバート・パーカーが遺稿を引き継いだものとその後の姿の二作、探偵フィリップ・マーロウものを出していたけども正直なところそれほど記憶に残るような作品ではなく、これはどうかな、と正直心配であったのだけど。本作でのマーロウは72歳で探偵業からは引退して今はメキシコで悠々自適の老後生活を送っているという設定。そんな老人に保険会社から、メキシコで水死して保険金も支払った開発業務の事故が本当だったのか確認してきてほしいとの依頼が来る。ヒーローになる必要もないし退屈でもあったので、ということでこれを引き受けるのだけど少し調べただけで不審な点がいくつも浮び上ってきて、という話。チャンドラーの小説はミステリというよりはスタイル小説、といったほうが良いもので正直なところストーリーが破綻しているものや推理としてはかなりお粗末というものが多い。魅力はそこにはなくてマーロウという探偵の生き様とか流儀を楽しむものであってパーカーが上手くいかなかったのは結局ちゃんとしたミステリを書いてしまったところにあるのでは、という気がしていた。その意味ではこの作品は良いか悪いかは別としてミステリとしては大したことはなく途中おや?と思うところも見受けられたり~マーロウの獲物はもはや銃ではなく座頭市に影響を受けたという仕込み杖なのだ~でチャンドラーの後継としてはある意味成功しているのかもしれない。小説として面白かったということもあって、ミステリよりもハードボイルド好きという方にはおすすめできます。

流れは、いつか海へと

流れは、いつか海へと ウォルター・モズリイ/田村 義進

この作者、黒人私立探偵の優れたシリーズを出してて最近見ないけどどうしたんだろ、と思ってたので飛びつくように手にとってみましたがこれはそのシリーズものではなかった。主人公はやはり黒人で元ニューヨーク市警の敏腕刑事。女癖が悪いのが玉に瑕で逮捕に向かった先の美人に誘惑されてあっさり関係を持ったらそれが罠でレイプで告発されて警察をクビになり収監までされた過去を持つという設定。そんな彼のもとにその時の女性から「罠に一役買っていたのはある警官の脅されてのことで改心したので汚名を晴らすのであれば協力したい」という手紙が届く。ほぼ同じ時期に若手の弁護士から警官殺しで逮捕されたジャーナリストの無実を晴すための調査依頼が舞い込む。前者は自分の名誉回復のため、後者は圧倒的に不利な状況に却って興味を惹かれたため、同時に取り組むことにして、というお話。ストーリーそのものは2つの事件を並行させていることもあって登場人物が多くちょっとごちゃごちゃしちゃってるな、という印象。しかし全体を通じて圧倒的なハードボイルド感が素晴らしい。元凶悪犯で自分を逮捕した主人公に何故か忠誠心を持っている相棒をはじめ周辺の登場人物も魅力的なキャラクターが多くこれもシリーズ展開を目論んでるな、という印象を受けました。本格推理が好きな人には薦めませんがハードボイルド好きな方には強くお薦めしたいです。面白かった。

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翡翠城市

翡翠城市 フォンダ・リー/大谷 真弓

翡翠を身につけることによって感覚機能を増大させ超人的な力を発揮することができる「グリーンボーン」たちの住むケコン島。 ここでは街のさまざまな利権を巡って2つの勢力、無峰会と山岳会が凌ぎを削っていた。 そしてあることをきっかけに、保っていたバランスが崩れ、血なまぐさい闘いが始まってしまう…。 伝説の戦士である祖父と、一族の長として重い責任を負う心優しい兄、直情径行で強いカリスマ性を持つ弟、一度は愛のために故郷を離れ翡翠を手放した妹、そして翡翠への過剰な適応性を持つ従兄弟。 この登場人物たちのプロフィールを書くだけでワクワクしてしまう。 これら、無峰会を束ねるコール一族を中心に、香港島を思わせる猥雑で魅力的なケコン島を二分するグリーンボーンたちの壮絶な闘いを描く本作。 冷徹な筆致からアジアンノワールと称されるが、映像的には完全に任侠映画。 ある事件をきっかけに戦線へと復帰を果たす妹シェイに「よっ!姐さん!」と声をかける。 それほどに侠気に溢れ熱いのだ。 本書はグリーンボーン・サーガの第一作で、すでに次作は刊行済み、とのこと。 世界幻想文学大賞受賞作。

訴訟王エジソンの標的

訴訟王エジソンの標的 グレアム・ムーア/唐木田 みゆき

発明王で知られるエジソンは自分の特許を守るため、そして競争なく市場を支配するために訴訟を乱発したそうで、これは史実を踏まえた物語。エジソンとウェスティングハウスの間の電球を巡る訴訟をテーマにしていて主人公は若手の弁護士なのだけど読後にあとがき見て驚いたのは主人公の弁護士も重要な役割を果たすオペラ歌手も全て実在の人物、ということ。弁護士になりたての若者がひょんなことから大実業家ウェスティングハウスの顧問弁護士となり既にGEを設立しかなりの大物であったエジソンに立ち向かうことになり助言をニコラ・テスラに求めて、という話。エジソンの悪役ぶりは大丈夫かと心配になるくらいで、市場を支配するために訴訟を起こすだけではなくジャーナリストを使ったネガティブ・キャンペーン~ウェスティングハウスの展開している交流電流は死刑に使われるくらい危険~まで駆使する手段を選ばない男、として描かれている。一方のウェスティングハウスはこちらも大物なのだけどどちらかというと発明家というより職人肌の実直な男、重要な役割を果たす奇才のニコラ・テスラはかなりの変人という具合。勝ち目がほぼゼロの闘いにどう主人公が取り組んでいくのかという男臭い話なのだがオペラ歌手に上手い役回りを与えることで華やかさもある話になっている。電力黎明期の黎明期の雰囲気もよく描けており非常に面白かった。

暗殺者の追跡 上

暗殺者の追跡 上 マーク・グリーニー/伏見 威蕃

当代最高のアクション・シリーズの一つ。簡単に言うと小説版ゴルゴ13。元々は軍の特殊部隊出身でCIAの秘密部隊のエースだった主人公。グレイマンと渾名されるとおり至って目立たない男なのだけど戦闘力は凄まじい。元々は古巣のCIAから身に覚えなく「見つかり次第射殺」という扱いを受け殺し屋をしながら世界中を逃げ回っていたのだけれど、陰謀を暴き古巣との関係が改善されて、今はCIAの外注工作員として活動しているという設定。今回は情報漏洩対応のためアメリカに呼び戻される途中でCIAの専用機にたまたま乗り合わせた囚人が謎の集団に攫われたため急遽そちらを追うことになり、一方で何作か前に登場した元ロシア対外情報庁の女性将校はCIAの保護を受けていたがあるきっかけで逃亡しておりやがて二人は一緒に巨大な陰謀に立ち向かう、という話。主人公の立場を大きく変えることでシリーズのマンネリ化をうまく避けた感じ。息もつかせぬアクションとはこういう作品のことで最後は主人公たちが勝つと分かっていても続きが気になって一気に読んでしまう。こういう作品では往々にして主人公がスーパーマン過ぎて荒唐無稽になりがちなのだが主人公を適度にコテンパンにさせたり愚痴らせたりさせることでそのあたりも巧みに避けている。出世主義者で主人公たち工作員を毛嫌いしているにも関わらずいやいやCIA側の窓口をさせられている女性幹部もいい味を出していて本来殺伐とした物語にいいアクセントをつけている。やはり巧い作家。次作も楽しみでならない。

サイコセラピスト

サイコセラピスト アレックス・マイクリーディーズ/坂本 あおい

ミステリーとしてとても面白い。 心理療法は死と再生の物語であると言ったのは河合隼雄先生だったけれども、この物語は死と再生というよりも罪と罰だろうか。 同業者からすれば物語冒頭から逆転移(よりもむしろ転移)状態にあって、どうもこのセラピストは心理療法家としてのラインを最初から侵していると「嫌な感覚」になったけれども、その直感は間違っていなかった。 訳者の坂本あおい先生が書かれている通り登場人物がそれぞれに罪を犯し、罰が下されている。 しかし、心理療法は例え司法分野であっても、罪と罰について考えさせるのではなく、罪を犯した自己と別離し、自己を再生ヘ促す態度が必要になる。 その点において、この物語の主人公である心理療法家セオは、すべてのはじまりから誤っていた。 そして、その誤りには最後まで気付けなかったのだろう。 重ねて、臨床心理士・公認心裡師、資格や呼び名はどうあれ、訓練を積んだ心理療法家にこの主人公のような人物はいないのでどうか不安に思わないでほしいとも願う限り。 それはそれとして、物語として面白い。

レッド・スパロー(上)

レッド・スパロー(上) ジェイソン・マシューズ/山中朝晶

エスピオナージュ…冷戦終結後はめっきり下火になったと思っていた…スパイ小説ですがほぼ現代のアメリカとロシアを舞台にこんな古典的なスパイ小説を書いたのはどんな人だろうと思ったら本当にCIAで秘密作戦に従事していた人が書いた作品らしい。裏切者と決めた相手を放射性物質で暗殺したりジャーナリストを殺したり資本家を容赦なく投獄したりとプーチンのロシアは今も作者に言わせると悪の帝国そのもののようで本作でもアフガニスタンでおかしくなった元特殊部隊の暗殺者が使われたりしている。本作はCIAに情報漏洩している幹部を突き止めるためロシアの諜報機関の幹部が怪我でバレエを断念した美貌の姪をCIAの若手要員に近づけて、という話。CIAの手先を炙り出そうとするロシアと素性を割り出して彼女を取り込もうとするCIAのせめぎ合いが描かれている。この粗筋だけでも十分古典的と思うのだけど話は思わぬ方向に進んでいって、という具合。未だにこんなに命がけで相手の腹を探り合わなくてもいいんじゃないの、と正直なところ思ってしまうけれど…中東のテロを暴く、みたいな昨今のスパイ小説も良いのだけどこういう古典的なのも趣があって良いなと思いました。かなり楽しめました。面白かった。

レス

レス アンドリュー・ショーン・グリア/上岡 伸雄

ピュリッツァーの文学部門受賞作ということで手にとってみたのだけど…これはどうなんだろう。いまいちパッとしない作家の主人公〜ちなみにタイトルは主人公の名字〜はゲイで長年付き合った男性と別れたばかり。その別れた相手から結婚式に招待され、出席したくないばかりに海外での仕事を片っ端から引き受けてしまう。そしてニューヨーク、ベルリン、パリ、モロッコ、京都、と世界を駆け巡るのだが、という話。元々、世界的な大詩人と付き合ってその男の影響で小説を書き出した主人公なのだがお世辞にも身持ちが固かったとも言い難く、そのくせウジウジと別れた男のことを考え続けて…という展開。軽妙な会話や興味深いエピソードで読んでいて楽しくないということはないのだけれど、ピュリッツァー受賞作ということで勝手に想像していた重厚さや深淵な感じはなくて肩すかしを食らったというのが正直なところ。先入観なく少し笑えるような軽妙な小説を読みたい、ということであればおすすめの作品と言えるかも。

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雪が白いとき、かつそのときに限り

雪が白いとき、かつそのときに限り 陸秋槎 / 稲村文吾

雪に閉ざされた密室の中で死んでいた一人の少女。 5年後、生徒会長の馮露葵は、友人の顧千千共に事件の謎を解くべく動き出す。青春の蹉跌と絶望を描いた佳品。 中国人作家による本格系学園青春ミステリ。学園ものなので、固有名詞置き換えたら、日本の話としても違和感なく読めそう。 書店でなかなか探してもないなと思ったら、ポケットミステリレーベルから出てた。縦長の判型、黄色い小口が青主体のカバー絵とマッチしてなかなか良い感じ。絵師ガチャにも成功していて、これは欲しくなる装丁だと思う。 これからの季節に読みたい一作。 姚漱寒の静かな諦観が心に染みる。人生最高の時を過ぎても人生は続いていくと言う事。彼女の昔の話を読みたくなる。

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