野崎孝の訳書

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 J.D. サリンジャー

死んでしまった人に対して、残された人は何が出来るんだろうか? 懸命にシーモアの物語を綴ろうとしているバディ。 けれど、二人の世界には誰も立ち入ることはできない。 読者であるぼくたちに出来ることは、バディを通じて謎めいたシーモアの幻想をみるだけだ。 神童だったシーモア。 日本と中国の詩に傾倒したシーモア。 結婚式に現れないシーモア。 バディが、フラニーが、ゾーイが、ブーブーがそれぞれにシーモアの死を受け止めている。 まったく、バナナフィッシュにうってつけの日に こめかみを打ち抜くような洒落た男は、彼以外に現れないんだろうな。 だからこそ一度でいいから会ってみたい。 不思議な魅力を感じたい。 もう書かれることのないグラース家の物語に思いを馳せて、急いで。急いで。ゆっくりと。

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フラニーとゾーイー

フラニーとゾーイー サリンジャー

必要以上に自分を良くみせようと振舞うことに疲れている人は、たぶん大勢いる。 世の中の全てがインチキで、それを取り巻く連中もインチキだと感じる者には、世の中ってものは本当に堪えるんだよ、コレが。 だからこそ、ライ麦畑のあの人やグラース家の人々に会いたい人が途切れないんだ。 「私はただ、溢れまくっているエゴにうんざりしているだけ。私自身のエゴに、みんなのエゴに。 どこかに到達したい、何か立派なことを成し遂げたい、興味深い人間になりたい、そんなことを考えている人々に、私は辟易しているの。 そういうのって私にはもう我慢できない。実に、実に。誰が何を言おうと、そんなのどうでもいいのよ」 まったく、いいこと言いやがるぜ、サリンジャー 。

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